海外に行ったり、普段のニュースを見ていて、
ふと「日本では当たり前だけど、これって普通なのかな?」と
感じたことはありませんか。

今回のテーマは、
日本のインフラについてです。

日本で暮らしていると、
橋や道路が突然使えなくなる場面はほとんどありません。

なぜ日本のインフラは「壊れない前提」で作られているのかです。

しかし海外では、日本のインフラは
「当たり前ではないもの」として注目されることがあります。
なぜ、日本ではそれが可能なのか。
その理由を世界との違いから見ていきます。

海外旅行から帰ってきて、蛇口をひねったら透明な水が出てきた。それだけで「ああ、日本に帰ってきたな」って思いませんか? 私たちが当たり前だと思っている水道、電気、道路。実はこれ、世界的に見るとかなり異常なレベルなんです。

日本人が気づかない「壊れない神話」の正体

停電したら大騒ぎになる国

台風が来て数時間停電しただけで、ニュース速報が流れますよね。「◯◯地区で1200世帯が停電」って。でも考えてみてください。たった数時間ですよ?

実は世界の多くの国では、停電なんて日常茶飯事なんです。フィリピンやインドネシアでは、週に何度も計画停電があるのが普通。アメリカだって、日本より停電時間が10倍以上長いんです。

日本では停電が「事件」扱いされるけど、他の国では「まあ、そういうこともあるよね」で済まされる。この温度差、すごくないですか?

蛇口から直接飲める水が出る奇跡

海外に住んだことがある人なら分かると思うんですが、蛇口の水をそのまま飲めるって、本当にすごいことなんです。

ヨーロッパでも「飲めることは飲める」レベルで、美味しくはない。東南アジアなら論外。お腹壊します。でも日本では、水道水がミネラルウォーターより美味しいなんて地域もあるくらい。

これ、単に水質がいいってだけじゃないんです。配水管から各家庭までの経路すべてで、品質が保たれているってこと。つまり「どこも壊れていない、漏れていない」前提で成り立っているシステムなんです。

「壊れたら直す」が世界標準な理由

コストと現実のバランス

じゃあなぜ他の国は「壊れたら直す」方式なのか。簡単な話、その方が安いからです。

想像してみてください。100年壊れない橋を作るのと、50年もって壊れたら直す橋を作るの、どっちが安いと思います? 当然後者ですよね。

世界の多くの国は「完璧を目指すより、そこそこで運用する」という発想なんです。壊れたらその時に直せばいい。その方が初期投資が少なくて済む。経済的には、実はこっちの方が合理的だったりします。

「メンテナンス前提」という考え方

アメリカの道路を走ったことがある人なら分かると思うんですが、穴ぼこだらけなんですよね。で、そこに「ROAD WORK」の看板立てて、工事してる。これが日常。

つまり「道路は傷むもの。傷んだら直す」という前提でシステムが組まれているんです。だから最初からそんなに頑丈に作らない。傷んだ部分だけパッチワークで修理する。

日本人の感覚だと「え、最初からちゃんと作ればいいじゃん」って思うんですが、向こうからすれば「え、そんな金かけるの?」って話なんです。

なぜ日本は「壊れない前提」を選んだのか

 島国ゆえの切迫感

日本が「壊れない」ことにこだわる理由、実は地理的な条件が大きいんです。

まず、島国だってこと。何か問題が起きても、隣の国から簡単に物資を運べない。陸続きのヨーロッパとは事情が違います。自分たちで完結させるしかない。

それに台風、地震、豪雪。自然災害のデパートみたいな国ですよね。「壊れたら直せばいい」なんて悠長なこと言ってられない。壊れたら命に関わるんです。

高度経済成長期の「一発勝負」

もう一つ、歴史的な背景があります。

戦後の日本は、限られた予算で一気にインフラを整備しなきゃいけなかった。「とりあえず作って、後で直す」なんて余裕はなかったんです。一発で長持ちするものを作るしかなかった。

1960年代から70年代にかけて、新幹線、高速道路、上下水道。全部この時期に一気に作られました。で、「何度も作り直す予算はない。一回で完璧なものを」という方針が徹底されたんです。

この時の設計思想が、今も続いているんですね。

「恥の文化」が生んだ完璧主義

これ、言っちゃっていいのか分からないんですが、日本人の性格も関係してると思うんです。

「壊れた」「不具合が出た」ってなると、すごく責任を感じる文化じゃないですか。担当者が謝罪会見開いたり。

海外だと「壊れることもあるよね」で済むことが、日本では「許されないミス」になる。だから設計段階から「絶対に壊れないように」って、過剰なくらい安全係数を積み上げるんです。

橋の設計で、理論上必要な強度の3倍で作るとか、普通にあります。「まあ、これくらいやっとけば大丈夫だろう」って。

「壊れない前提」の光と影

世界最高レベルの安心感

この方式の良さは、もう説明不要ですよね。

水道から安全な水が出る。電車が時刻表通りに来る。停電がほとんどない。道路に穴が開いてない。これ全部、「壊れない前提」で設計されているからこそ実現できていること。

特に災害時。東日本大震災の時、津波の被害がなかった地域では、数日でインフラが復旧しました。これ、建物やシステムが頑丈に作られていたからなんです。

「壊れない」ことで、私たちは安心して生活できる。この価値は計り知れません。

実は始まっている「限界」

でも、問題もあるんです。

まず、メンテナンスの概念が弱い。「壊れない」前提だから、「点検」や「予防保全」の文化が育ちにくかったんです。

笹子トンネルの天井板落下事故、覚えてますか? 2012年に起きた、あの痛ましい事故。あれ、まさに「壊れない前提」の盲点だったんです。「こんなに頑丈に作ったんだから大丈夫」って、点検がおろそかになっていた。

今、高度経済成長期に作られたインフラが、一斉に老朽化してきています。橋、トンネル、水道管。50年以上経過したものがゴロゴロ。

コストの問題が深刻化

「壊れない」ように作るって、実はめちゃくちゃお金がかかるんです。

例えば水道管。日本の水道管は、世界標準の2倍くらい頑丈に作られています。当然、コストも2倍。でも人口減少で水道料金収入は減る一方。

新しく作る時は「壊れないように」って予算が取れたけど、更新する時は? 全国の老朽化した水道管を、同じレベルで作り直す予算なんて、どこにもないんです。

これから日本は、「壊れない前提」を維持できるのか、それとも「壊れたら直す」方式に転換するのか、大きな岐路に立っています。

 変わり始めた日本のインフラ思想

「予防保全」という新しい発想

最近、「予防保全」って言葉、よく聞きませんか?

これ、実は日本のインフラ思想が変わってきている証拠なんです。「壊れない」から「壊れる前に手を打つ」へ。微妙な違いに見えるけど、発想の大転換なんです。

橋の点検を5年に1回義務化したり、水道管の更新計画を立てたり。「壊れないから放っておく」じゃなくて、「壊れないように手入れする」に変わってきた。

センサー技術で「見える化」

面白いのが、技術の進化がこの変化を後押ししていること。

今、橋やトンネルにセンサーを付けて、リアルタイムで状態を監視する技術が実用化されています。「どこが傷んでいるか」が、壊れる前に分かるんです。

これって、車の定期点検みたいなものですよね。「壊れない車」なんてないけど、ちゃんとメンテナンスすれば長持ちする。インフラも同じ発想になってきた。

「選択と集中」の時代へ

もう一つの変化が、すべてを同じレベルで維持するのをやめたこと。

人口が減っている地域の道路を、都市部と同じレベルで維持する必要ある? って議論が始まっています。厳しい言い方だけど、使う人が少ないなら、そこまで頑丈じゃなくてもいいんじゃないか、と。

限られた予算を、本当に必要なところに集中させる。これも「壊れない前提」からの脱却の一つです。

世界から見た日本の特殊性

「時間通り」への異常なこだわり

日本の「壊れない前提」を象徴するのが、鉄道の定時運行率。

JR東日本の新幹線、平均遅延時間が年間で0.6分なんです。1分以下ですよ? 信じられます?

これ、世界的に見ると完全に異常値。ドイツの鉄道でも平均遅延は数分。イタリアなんて30分遅れても「まあまあ」って感じ。

でも日本では、3分遅れただけで車内アナウンスが流れる。「お客様にご迷惑をおかけして申し訳ございません」って。

この「絶対に遅れない」という前提、実は「絶対に壊れない」という設計思想と表裏一体なんです。

 過剰品質?いや、必要品質

海外のエンジニアと話すと、よく言われるんです。「日本は過剰品質だ」って。

でも本当にそうでしょうか?

地震が年に何度も来る国で、橋が落ちたら困りますよね。台風で停電したら、病院の機器が止まります。水道管が破裂したら、消火活動ができません。

日本の自然環境、人口密度、社会の相互依存度。これらを考えると、「壊れない」ことは過剰品質じゃなくて、必要品質なのかもしれません。

これからの日本のインフラはどうなる?

「壊れない」と「直せる」の融合

答えは、二者択一じゃないと思うんです。

「壊れない」ことを目指しつつ、「壊れた時にすぐ直せる」システムを作る。両方のいいとこ取り。

例えば、水道管を樹脂製にする動きがあります。金属管より軽くて、施工も簡単。コストも安い。でも耐久性は金属管と同等以上。

こういう技術革新で、「壊れにくくて、直しやすい」インフラが実現できるんじゃないでしょうか。

市民の意識改革も必要

ただ、私たち利用者の意識も変わる必要があるかもしれません。

「絶対に壊れない」から「たまには不具合もある」へ。この許容度を少しだけ上げる。

年に1回、数時間の計画停電があっても、それで電気料金が安くなるなら、受け入れられませんか? 水道管の更新工事で、たまに水が濁っても、それで将来の安全が確保されるなら、我慢できませんか?

「完璧」を求めすぎると、システム全体が持たなくなる。そのバランス感覚が、これから求められるんだと思います。

 次世代に引き継ぐために

結局、インフラって次の世代への贈り物なんですよね。

私たちが今使っている道路も、橋も、水道も、先人たちが「未来の日本人のために」って作ってくれたもの。

じゃあ私たちは、次の世代に何を残すのか。同じように「壊れない」インフラを作り続けるのか、それとも「持続可能な」インフラに作り変えていくのか。

答えはまだ出ていません。でも、議論は始まっています。

海外との違いという点では、
【なぜ日本のインフラ設計は「壊れたら直す」ではなく「壊れない前提」なのか】

もあわせて読むと理解が深まります。

まとめ

日本のインフラが「壊れない前提」で作られているのは、島国という地理的条件、災害の多さ、戦後復興期の一発勝負、そして日本人の完璧主義が複雑に絡み合った結果なんです。この設計思想が、世界最高レベルの安全で快適な生活を実現してきました。でも今、高度経済成長期に作られたインフラが一斉に老朽化し、人口減少で維持コストの負担が重くなっています。これからは「壊れない」と「直せる」を両立させる新しい発想と、市民の意識改革が必要な時代。私たちが当たり前だと思っている「壊れない」インフラは、実は先人たちの努力と、莫大なコストの上に成り立っていたんですね。次の世代に何を残すのか、今まさに考える時期に来ています。

タグ