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- 日本の仕組み・社会構造
「日本では当たり前だけど、これって普通なのかな?」と
感じたことはありませんか。
【日本の安全についてです。
ロンドンに引っ越して3ヶ月目、カフェのテラス席でスマホをテーブルに置いてトイレに行こうとしたら、隣の席の人に「それ持っていきなよ」って真剣な顔で止められたんです。
日本にいた頃は、カフェでもファミレスでも、荷物で席を取るなんて当たり前でしたよね。スマホをテーブルに置いたまま注文に行く、財布を置いたままトイレに行く。「誰も取らないでしょ」って感覚。
でもね、これって世界的に見たら完全に異常なんです。良い意味で。
海外に住んでみて分かったのは、日本の安全って「ちょっと安全」とかじゃなくて、「信じられないレベルで安全」だってこと。
動画では触れきれなかった背景や理由を、
あとから読み返せる形で整理してみました。
夜の一人歩きができる奇跡
女性が終電で寝過ごしても帰れる国
私の友人で、終電で寝過ごして終点まで行っちゃって、そこから1時間歩いて帰ったって女の子がいます。深夜2時とかですよ。で、次の日「マジ疲れた〜」って笑い話にしてた。
これ、海外の友人に話したら「それ、命がけの行動だよ」って本気で心配されました。
パリに住む友人は「夜10時以降は絶対に一人で外出しない」って言ってたし、ニューヨークの知人も「地下鉄で寝るなんて自殺行為」だって。ロンドンでも、夜道は人通りの多い明るい道を選ぶのが基本中の基本。
日本だと「人通りが少ない道は避けた方がいいよ」くらいのアドバイスですが、海外だと「夜は出歩かない」が大前提なんです。この差、めちゃくちゃ大きいですよね。
深夜営業のコンビニという存在
24時間営業のコンビニが街中にある。これ自体が日本の安全性を物語ってます。
だって考えてみてください。深夜に少人数(時には一人)で店番して、お金を扱う商売が成立してるんですよ。しかも全国に何万店舗も。
海外だと、夜間営業の店は防弾ガラスで店員とお客さんが完全に隔離されてたり、入り口にセキュリティガードがいたり。ロンドンの深夜営業スーパーは、入店できる人数が制限されてて、一人出たら一人入れるシステムでした。
日本のコンビニって、高校生のバイトが一人で夜勤してたりするじゃないですか。これ、海外から見たら「え、大丈夫なの?」ってレベルなんです。
「落とし物が戻ってくる」という都市伝説レベルの現実
財布が戻ってくる確率70%超え
警視庁のデータによると、東京都内で拾得された財布の約74%が持ち主に返還されてるんです。しかも中身が入ったまま。
これ、海外の人に話すと「嘘でしょ?」って反応が9割です。残りの1割は「日本の話ならあり得るかも...」って。
ベルリンに住む友人が言ってました。「こっちで財布落としたら、まず戻ってこない。戻ってきたら中身は空っぽ。それが普通」って。
私も実際、日本にいた頃に電車で財布を落としたことがあって、その日のうちに駅から連絡が来て、翌日取りに行ったら現金もカードも全部そのまま入ってました。当時は「良かった〜」くらいにしか思ってなかったけど、今考えるとこれ、本当にすごいことなんですよね。
傘の扱いに見る文化の違い
日本だと、ビニール傘を間違えて持っていかれちゃうことはあっても、高級な傘は大体戻ってきますよね。お店の傘立てに入れておいても、まあ大丈夫だろうって感覚。
でも海外だと、傘立てに傘を置くこと自体がリスク。ロンドンでは、レストランに入る時も傘は自分で持って席まで行くのが普通です。
あと面白いのが、日本の観光客が傘を盗まれて「日本だったら絶対戻ってくるのに!」って怒ってるのを見たこと。その気持ち、分かるんだけど、世界標準で考えたら「置いておいた方が悪い」になっちゃうんですよね。
交番システムという日本独自の発明
街角に警察官がいる不思議
日本全国に約6,000か所ある交番。これ、実は世界的にかなり珍しいシステムなんです。
海外だと、警察は基本的に呼ばれたら来るもの。パトロールはしてるけど、街角に常駐してる訳じゃない。だから「ちょっと道を聞く」とか「落とし物を届ける」みたいな気軽な利用ができないんです。
ロンドンで道に迷った時、警察官を探したんですけど全然見つからなくて。日本だったら「交番どこだろう」って探せば大体見つかるのに。
しかも日本の交番って、道案内から落とし物、ちょっとした相談まで対応してくれるじゃないですか。海外の友人に「警察が道案内してくれるの?」って驚かれました。
「お巡りさん」という親しみ
「お巡りさん」って呼び方、これ自体が日本の警察と市民の距離感を表してますよね。
海外だと警察って、もっと権力的というか、距離がある存在なんです。気軽に話しかける感じじゃない。特にアメリカとかだと、警察に職質されるだけで緊張するって聞きます。
日本だと、子どもが迷子になったら「警察に行こう」って教えるけど、国によっては「警察には近づくな」って教えるところもあるんですって。この差、めちゃくちゃ大きいですよね。
「性善説」で回る社会システム
無人販売所が成立する理由
田舎の道端にある無人販売所。野菜とか果物が置いてあって、お金を箱に入れて持っていくやつ。
これ、海外の人に写真見せたら「フェイク?」って言われました。「お金入れずに持っていく人いるでしょ」って。
確かにいるかもしれないけど、基本的には成立してるんですよね。それは「みんな払うだろう」っていう前提で作られてるから。
海外だと、こういうシステムはまず無理。必ず誰かが監視してるか、カメラがあるか、後払いシステムか。性善説じゃなくて性悪説で設計されてるんです。
電車の改札を出る時に切符を回収しない国
これも地味にすごいんですけど、日本のICカードシステムって改札でタッチしないと出られないじゃないですか。
でも海外の一部の都市では、改札がない、もしくは出口の改札がない場所があるんです。つまり「ちゃんと料金払って乗ってるよね?」っていう信頼ベース。
実際は抜き打ちで検札があって、無賃乗車がバレたら高額な罰金なんですけど、基本は信頼。日本はそれすら信頼しないで、しっかりシステムで管理してる。
これ、どっちが性善説なのか分からなくなってきますよね。日本は「みんな良い人だけど、システムはしっかり作ろう」って感じなのかも。
災害時に現れる日本人の本質
略奪が起きない不思議
2011年の東日本大震災の時、世界中のメディアが驚いたのが「略奪が起きない」ってことでした。
大規模災害が起きると、海外では残念ながら略奪や暴動が起きることが多いんです。ハリケーン・カトリーナの時のニューオーリンズとか、映像見たことある人もいるんじゃないでしょうか。
でも日本では、コンビニの商品が散乱しても、みんな整然と並んで購入してた。自動販売機が倒れても、中身を取る人はほとんどいなかった。
「緊急事態だから仕方ない」じゃなくて、「緊急事態だからこそ秩序を守ろう」っていう発想。これ、本当に特殊なんです。
避難所での整然とした行動
避難所でも、配給の列にちゃんと並ぶ、スペースを譲り合う、ゴミを分別する。極限状態でもルールを守る。
海外のニュースキャスターが「まるで訓練されているかのようだ」ってコメントしてましたけど、訓練というより、もう文化として染み付いてるんでしょうね。
ただ、これが良い面ばかりかというと、そうでもなくて。我慢しすぎて体調崩す人がいたり、声を上げられない人が取り残されたり。秩序を保つことの副作用もあるんですけどね。
子どもの通学に見る安全性
小学生が一人で電車通学
東京とか大阪だと、小学生が一人で電車やバスに乗って通学してる光景、普通ですよね。
これ、海外だとあり得ないんです。
アメリカだと、12歳くらいまでは子どもだけで外出させちゃいけない州もあるし、親が送り迎えするのが基本。イギリスでも、小学生の一人歩きはかなり慎重に判断されます。
日本の「子どもだけで登校班で通学」とか、海外の親からしたら信じられない光景らしいです。
ランドセルという目印
そういえばランドセル、あれも安全性に一役買ってるんですよね。
遠くからでも「あ、小学生だ」って分かるから、周りの大人が気にかけやすい。黄色い帽子とかも同じ。
海外の友人が「日本は子どもを社会全体で守ってる感じがする」って言ってて、確かにそうかもって思いました。
「知らない人についていっちゃダメ」は世界共通だけど、日本の場合は「困ったら近くの大人に声をかけよう」も教えられる。この差、大きいですよね。
ゴミが落ちてない街の秘密
ゴミ箱がないのにゴミがない矛盾
これ、海外から来た人がまず驚くポイント。「ゴミ箱どこ?」って。
日本って、駅とか公園とか、公共のゴミ箱がめちゃくちゃ少ないじゃないですか。特に地下鉄とかだと、ほぼない。
でも街はキレイ。なぜなら、みんな持ち帰るから。
海外だと、ゴミ箱がたくさんあるのに、その周りがゴミだらけってこと、よくあるんです。ロンドンの公園とか、ゴミ箱から溢れたゴミが散乱してたり。
日本人は「ゴミ箱がないなら持って帰ろう」、海外だと「ゴミ箱がないから置いていこう」。この発想の違いが、街の景観を大きく変えてるんです。
花火大会の翌朝
隅田川の花火大会とか、何十万人も集まるイベントの翌朝、ボランティアと清掃業者さんが片付けるんですけど、ゴミの量が年々減ってるらしいんです。
みんな自分のゴミは持ち帰る、分別する。「来た時よりもキレイに」みたいな精神。
海外の大規模イベントだと、翌日の惨状がニュースになるレベルなんですけどね。
「恥の文化」と「罪の文化」
「みんなが見てる」という意識
日本って「恥の文化」ってよく言われますよね。「人に見られたら恥ずかしい」っていう感覚が行動を律してる。
これ、良い面も悪い面もあるんですけど、安全性に関しては良い方に働いてる気がします。
「誰も見てないからいいや」じゃなくて、「誰かが見てるかもしれない」「自分が恥ずかしい」っていう内面的なブレーキがかかる。
海外の「罪の文化」は「バレなければOK」的な発想になりやすいんです。神様は見てるけど、人間にバレなければセーフ、みたいな。
どっちが良いとかじゃないんですけど、日本の安全性の一因にはなってるんでしょうね。
同調圧力の光と影
「みんながルールを守ってるから自分も守る」っていう同調圧力。
これが日本の秩序を保ってる一方で、息苦しさの原因にもなってる。難しいところです。
でも海外に住んでみて思うのは、ある程度の同調圧力って、社会の安全性には必要なのかもって。
完全な自由と完全な安全は両立しない。日本は安全側に振り切ってるんですよね。
教育システムが作る「当たり前」
掃除の時間という特殊な文化
日本の学校って、生徒が教室や廊下を掃除するじゃないですか。
これ、海外だとかなり珍しいんです。多くの国では清掃員が掃除するから、生徒は掃除しない。
「自分が使う場所は自分でキレイにする」「公共の場を大切にする」っていう感覚が、掃除の時間を通して身につく。
これが、大人になってからの「街を汚さない」行動につながってるんじゃないかって思うんです。
給食当番と集団行動
給食当番で順番に配膳する、みんなで「いただきます」を言う。
こういう小さな習慣の積み重ねが、「みんなで社会を作ってる」っていう感覚を育ててるのかも。
海外の学校だと、もっと個人主義的なんです。良い悪いじゃなくて、違う。
その違いが、大人になってからの社会の在り方に影響してるんでしょうね。
経済格差と治安の関係
中間層の厚みが安全を作る
日本の治安の良さって、実は経済的な平等性とも関係してるんです。
もちろん格差は広がってるし、問題はあるんですけど、それでも世界的に見れば日本はまだ中間層が厚い。
極端な貧困層が少ないから、生きるために犯罪に走る人が少ない。これ、すごく重要なポイントなんです。
海外の都市だと、数ブロック移動しただけで景色が全然変わる場所とかあるんです。高級住宅街の隣が超危険地帯、みたいな。
日本にも地域差はあるけど、ここまで極端じゃない。この「ほどほどの平等性」が、社会全体の安全性を底上げしてるんです。
セーフティネットの存在
生活保護とか、健康保険とか、日本のセーフティネットって完璧じゃないけど、一応機能してますよね。
「明日食べるものがない」っていう状況になりにくい社会設計。
これが「食べるために盗む」みたいな犯罪を減らしてる。
もちろん、セーフティネットから漏れちゃう人もいるし、改善の余地はたくさんあるんですけど、それでも「ないよりはマシ」なんですよね。
銃がない社会の安心感
武器へのアクセスの難しさ
日本で銃を手に入れるのって、めちゃくちゃ大変じゃないですか。普通の人は一生触ることもない。
これ、安全性において超重要なポイントなんです。
アメリカだと、州によっては簡単に銃が買えちゃう。喧嘩が銃撃戦になる可能性がある社会って、想像するだけで怖いですよね。
日本だと、最悪の場合でも殴り合いで済む(済むって言い方もアレですけど)。でも銃社会だと、一瞬で取り返しのつかないことになる。
警察官も銃を抜かない
日本の警察官って、よっぽどのことがない限り銃を抜かないですよね。
海外だと、職質の時点で警察官の手が銃に行ってたり、普通に銃を構えてたり。
この差は大きいです。市民も警察も、お互いに「相手が銃を持ってるかも」って警戒しなくていい。
これだけで、社会の緊張感が全然違うんです。
テクノロジーと安全性
防犯カメラの普及
日本って、防犯カメラがめちゃくちゃ多いんです。コンビニ、駅、街角、至る所にある。
「監視社会だ」って批判もあるんですけど、これが犯罪抑止に役立ってるのも事実。
「カメラに映ってるかも」っていう意識が、犯罪を思いとどまらせる。
海外でも防犯カメラは増えてるんですけど、日本ほど網羅的じゃない。この密度が、安全性に貢献してるんでしょうね。
交通系ICカードの追跡可能性
SuicaとかPASMOって、使った記録が全部残るじゃないですか。
これ、プライバシーの観点からは議論があるんですけど、犯罪捜査にはめちゃくちゃ役立ってるんです。
「どこにいたか分かっちゃう」っていう意識が、犯罪のハードルを上げてる。
技術が社会の安全性を支えてる、良い例ですよね。
失われつつある「当たり前」
変わり始めた日本
ここまで日本の安全性を褒めちぎってきましたけど、実は最近、少しずつ変わってきてるんです。
外国人観光客が増えて、価値観の多様化が進んで、経済格差が広がって。
「昔は良かった」とは言いたくないんですけど、確実に「昔ほど安全じゃない」場面が増えてる気がします。
「当たり前」を維持するコスト
日本の安全って、実は莫大なコストの上に成り立ってるんですよね。
警察官の人数、防犯カメラの設置、街灯の維持、清掃員の労働。目に見えないところで、たくさんの人が働いてる。
それに加えて、一人一人の「ルールを守ろう」っていう意識。
この両方があって初めて、今の安全性が保たれてる。
海外から学ぶこともある
自己防衛の意識
日本に住んでると、どうしても「大丈夫だろう」って油断しちゃいますよね。
でも海外に住んでみて思うのは、適度な警戒心って大事だなって。
「性善説で生きるけど、最低限の自己防衛はする」っていうバランス。
日本人はちょっと無防備すぎるかもって思うことがあります。
声を上げる文化
海外だと、おかしいことがあったらすぐに声を上げるんです。「それ、違うでしょ」って。
日本だと「まあいいか」「我慢しよう」ってなりがち。
安全性を保つためには、時には声を上げることも必要なんですよね。
「和を乱さない」ことと「おかしいことを指摘する」こと、両立できるはずなんです。
ここで出てきた考え方は、
実際の事例を見るとより分かりやすくなります。
【なぜ日本のインフラ設計は「壊れたら直す」ではなく「壊れない前提」なのか】が参考になります。
まとめ:安全は「空気」じゃない
日本に住んでると、安全って空気みたいに当たり前に感じちゃいますよね。でも海外に出てみて分かったのは、この安全性って全然当たり前じゃないってこと。
夜道を一人で歩ける、財布を落としても戻ってくる、子どもが一人で通学できる。これ全部、奇跡みたいなことなんです。
この安全性は、長い時間をかけて作られた文化と、それを維持するための莫大なコストと、一人一人の「ちゃんとしよう」っていう意識の積み重ねで成り立ってる。誰かが自動的に用意してくれてる訳じゃないんですよね。
海外に住んでみて、日本の良さを再発見できたのは本当に良かったです。同時に、この「当たり前」がずっと続くとは限らないってことも実感しました。
だからこそ、今ある安全性を「当たり前」だと思わず、大切にしていきたいなって思います。そして、この価値を次の世代にも引き継いでいけたらいいですよね。
あなたも海外に行く機会があったら、ぜひ日本との違いを感じてみてください。きっと、いつもの街が違って見えるはずですから。


