スマホ家計簿をつけ始めて気づいた"本当に無駄だった支出"の正体
触れたきっかけと思ったこと
「今月もまた貯金できなかった…」そんな言葉を何度呟いたことだろう。毎月それなりに給料をもらっているはずなのに、気づけば財布は空っぽ。クレジットカードの明細を見るたびに「こんなに使ったっけ?」と首を傾げる日々が続いていた。
30代に入って、周りの友人たちが貯金や投資の話をするようになった。「将来のことを考えると、ちゃんとお金を管理しないとね」なんて会話を聞くたび、内心では焦っていた。私だってちゃんとしたいと思っている。でも、何から始めればいいのか分からなかった。
そんなある日、同僚の美咲が「私、スマホの家計簿アプリ使い始めたんだけど、めっちゃいいよ」と教えてくれた。彼女は以前、私と同じように「お金がない」と愚痴をこぼしていた人だった。それがここ最近、なんだか余裕がありそうに見えた。ランチのときも「今月は結構節約できてる」なんて嬉しそうに話していた。
正直、最初は半信半疑だった。家計簿なんて何度も挫折してきた。学生時代に買った可愛いノート型の家計簿は、最初の一週間だけ記入して放置。社会人になってからExcelで管理しようとしたこともあったけど、パソコンを開くのが面倒で三日坊主。「スマホアプリだって、結局同じでしょ」という思いがあった。
でも、美咲の変わりようが気になって、その日の帰り道にアプリストアで「家計簿」と検索してみた。驚いたことに、たくさんのアプリがあった。レビューを読みながら、評価の高いものをいくつかダウンロードした。「まあ、無料だし、試すだけ試してみるか」という軽い気持ちだった。
最初に開いたアプリは、とにかくシンプルだった。収入と支出を入力するだけ。カテゴリーも「食費」「交通費」「娯楽費」などが用意されていて、自分で考える必要がない。「これなら続けられるかも」と思った。その日の夕飯で買ったコンビニ弁当の598円を入力してみた。たったそれだけのことなのに、なんだか新しいことを始めた感じがして、少しワクワクした。
「とりあえず一ヶ月だけでも続けてみよう」そう決めて、私の家計簿生活が始まった。このとき、まさか自分のお金の使い方がこんなにも歪んでいたことに気づくとは思ってもみなかった。
最初に戸惑った体験
アプリを使い始めて最初の週は、とにかく全てが新鮮だった。コンビニでペットボトルのお茶を買っても「150円、飲み物代」と入力する。駅の券売機でチャージしても記録する。会社帰りにドラッグストアで化粧水を買っても、すぐにスマホを取り出して入力した。
でも、三日目くらいから違和感が生まれてきた。入力すること自体は苦痛じゃない。問題は、記録した数字を見たときの「もやもや感」だった。
例えば、ある日の昼休み。いつものように同僚たちとランチに行った。私はパスタランチセットで1200円。これを「食費」として入力した。でも、このランチって本当に「食費」だろうか? 美味しいものを食べたいという欲求もあったけど、それ以上に「一人でお弁当を食べるのが寂しい」「同僚との時間が大事」という気持ちがあった。じゃあこれは「交際費」? それとも「娯楽費」?
そんなことを考えていると、カテゴリー分けに迷う支出が山ほどあることに気づいた。帰り道に寄ったコンビニで買った雑誌とガム。雑誌は「書籍費」でいいとして、ガムは? なんとなく口寂しくて買っただけだから「娯楽費」? でも、たかが100円ちょっとのガムをそんな真面目に分類する必要ある?
一番困ったのは、週末にショッピングモールで買い物をしたときだった。服と靴、それから生活雑貨をまとめて買って、合計で18,000円くらい使った。レジで決済したときは「まあ、必要なものだし」と思っていた。でも、アプリに入力しようとして手が止まった。
この18,000円を、どうやって分類すればいいんだろう? 服は「被服費」、靴も「被服費」、生活雑貨は「日用品費」。でも、レシートを見返すと、服と一緒に買った可愛いヘアアクセサリーがあった。これは本当に必要だったのか? 靴は確かに必要だった。前のスニーカーがボロボロだったから。でも、試着したときに店員さんに「お似合いですよ」と言われて、予定より5,000円高いものを選んでしまった。生活雑貨のコーナーで手に取ったアロマキャンドルは、完全に衝動買いだった。
結局、その日は全部まとめて「被服費・雑貨」として入力したけど、なんだかモヤモヤした。このモヤモヤの正体が何なのか、そのときはまだ分からなかった。
さらに困ったのは、クレジットカードの扱いだった。普段からカードで支払うことが多い私は、「今日は現金を使ってないから支出ゼロ」みたいな錯覚に陥っていた。でも、アプリに入力すると、カード払いでもちゃんと支出として記録される。当たり前のことなのに、数字で見るとドキッとした。
一週間が経って、アプリの「週間レポート」機能を見てみた。そこには「今週の支出:32,450円」と表示されていた。一週間で3万円以上? 思わず声が出た。「え、そんなに使ってたの?」
内訳を見ると、食費が15,000円近くあった。一人暮らしで、一週間で15,000円。単純計算すると一ヶ月で6万円。「いや、ありえない」と思ったけど、数字は嘘をつかない。コンビニでの買い物、会社近くのカフェでのランチ、仕事帰りのスーパーでの買い物。全部記録していたから間違いない。
そのときふと思った。「私、今まで何も分かってなかったんだ」と。毎月給料日前になると「お金がない」と嘆いていたけど、お金がないんじゃなくて、使ってしまっていただけだった。どこに消えたか分からなかったお金は、実はちゃんと記録に残っていた。ただ私が見ようとしていなかっただけ。
その夜、ベッドに入ってからもアプリの数字が頭から離れなかった。なんだか、自分の生活が数字で裁かれているような、不思議な居心地の悪さがあった。
試行錯誤しながら気づいたこと
二週目に入って、私はあることに気づき始めた。単に支出を記録するだけでは意味がない。大事なのは「なぜそのお金を使ったのか」を理解することだった。
ある朝、会社に向かう途中、駅ナカのカフェでコーヒーを買った。いつもの習慣だった。アプリを開いて「450円、飲み物代」と入力しようとして、ふと疑問が湧いた。「このコーヒー、本当に必要だったのかな?」
考えてみれば、会社にはコーヒーメーカーがある。無料で飲める。味は確かにカフェのほうが美味しいけど、450円分の価値があるだろうか? 週5日買えば2,250円。一ヶ月で9,000円。一年で108,000円。計算して驚いた。10万円以上も、朝のコーヒーに使っていたのか。
でも、ただ金額が大きいから無駄だとは思わなかった。私にとって朝のカフェでのコーヒーは、一日のスイッチを入れる時間だった。好きな音楽を聴きながら、温かいコーヒーを飲んで、心を落ち着ける。それは私にとって価値がある時間だった。
じゃあ、何が「無駄」なんだろう?
答えは意外なところにあった。ある日の昼休み、同僚たちとランチに行くことになった。本当は前日の夕飯の残りでお弁当を作っていた。朝、ちゃんとお弁当箱に詰めて会社に持ってきていた。でも、「今日はイタリアンに行こうよ」と誘われて、なんとなく「うん、行く行く」と答えてしまった。
ランチで1,500円を支払って、午後に自分のデスクでお弁当箱を見たとき、胸が痛んだ。結局そのお弁当は夜に家で食べたけど、作った意味がなかった。いや、お弁当代の1,500円が無駄になったというより、「断れなかった自分」に対してモヤモヤした。
その日から、私は支出を記録するときに、心の中で自問するようになった。「これは本当に自分が欲しくて買ったもの? それとも、なんとなく買っただけ?」
すると、驚くほどたくさんの「なんとなく支出」が見つかった。
帰り道のコンビニで買うお菓子。別にお腹が空いているわけじゃない。でも、コンビニに寄るのが習慣になっていて、手ぶらで出るのが落ち着かなくて、なんとなくレジに持っていく。
ネットショッピングでポチる服。本当に欲しかったわけじゃない。でも、「5,000円以上で送料無料」と書いてあったから、送料を払うのがもったいなくて、別に必要じゃないものまでカートに入れる。
サブスクリプションサービス。動画配信サービスが三つも入っていた。「いつか見るかも」と思って契約したけど、実際に使っているのは一つだけ。でも解約するのが面倒で、毎月自動で引き落とされていた。
そして気づいた。本当に無駄な支出というのは、金額の大小じゃなかった。「自分の意思で選んでいない支出」が無駄だったんだ。
例えば、朝のカフェのコーヒーは450円する。でも、私はそれを意識的に選んでいる。朝の時間を豊かにするために、自分の意思でお金を使っている。だから無駄じゃない。一方で、コンビニでなんとなく買う150円のお菓子は、何も考えずに買っている。習慣で買っている。だからこそ無駄だった。
もう一つ気づいたことがある。私は「損をしたくない」という気持ちが強すぎて、かえって無駄な支出をしていた。ポイントが貯まるから、送料無料になるから、セールだからと、必要でもないものを買う。結果的に、使わないものが部屋に溜まっていく。
ある週末、クローゼットを整理していて愕然とした。タグがついたままの服が何枚もあった。「これ、安かったんだよね」と思い出せるものばかり。でも、安くても着なければ、それは無駄金だった。むしろ、高くても何度も着る服のほうが、よっぽど価値がある。
こうして、私は「支出の本質」に向き合うようになった。アプリに記録するのは数字だけど、その数字の裏には、自分の価値観や習慣、心の弱さが透けて見えた。
自分なりに工夫したポイント
気づきを得てから、私は家計簿の使い方を工夫し始めた。ただ記録するだけでなく、自分なりのルールを作っていった。
最初に決めたのは「買う前に記録する」というルールだった。変な話だけど、これが効果的だった。例えば、ネットショッピングでカートに商品を入れたら、まず家計簿アプリを開いて、その金額を入力してみる。購入ボタンを押す前に、今月の支出総額に加算して表示させる。
そうすると、不思議なことに「本当に買いたいか」が見えてくる。「あ、これを買うと今月の食費が予算オーバーするな」と気づいたとき、冷静になれる。別に予算を厳密に守ろうとしているわけじゃない。ただ、「見える化」することで、自分の判断材料が増える。
次に工夫したのは、カテゴリーの再編成だった。アプリに最初から用意されている「食費」「交際費」「娯楽費」といったカテゴリーだけでは、私の実感と合わなかった。だから、自分で新しいカテゴリーを作った。
「心の栄養費」というカテゴリーを作った。ここには、朝のカフェのコーヒー、好きな作家の新刊、友達との食事などを入れた。これらは金額だけ見れば削れる支出かもしれない。でも、私の心を豊かにしてくれるものだから、「無駄」ではない。このカテゴリーは、罪悪感なくお金を使っていいエリアとして設定した。
逆に「なんとなく支出」というカテゴリーも作った。コンビニでのついで買い、衝動買いした服、使っていないサブスクなど。ここに分類される支出は、月末に見返して、本当に必要だったか考える。このカテゴリーだけは、次の月に減らす努力をする。
面白かったのは、「未来への投資」というカテゴリーも作ったこと。資格取得のための教材、スキルアップのためのオンライン講座、健康のためのジム代など。これらは支出だけど、将来の自分への投資だと考えて、別枠にした。このカテゴリーが増えることは、むしろ喜ばしいことだと捉えた。
もう一つの工夫は、「感情メモ」を残すことだった。支出を記録するとき、金額とカテゴリーだけでなく、そのとき何を感じていたかを一言メモする。「疲れていた」「寂しかった」「嬉しかった」など。
これが予想以上に役立った。月末に振り返ると、自分の消費パターンが見えてくる。「疲れていた」と書いた日は、コンビニでの無駄買いが多い。「寂しかった」と書いた日は、ネットショッピングで不要なものを買っている。感情と支出が連動していることに気づいた。
そこで、ストレスが溜まっている日は、買い物ではなく、他の方法で発散するようにした。散歩に行く、友達に電話する、お風呂にゆっくり浸かる。お金を使わなくても、気持ちを切り替える方法はたくさんあった。
週に一度、土曜日の朝に「家計簿タイム」を作ったのも良かった。コーヒーを淹れて、一週間の支出を振り返る。数字を眺めながら、「今週は外食が多かったな」「でも、久しぶりに友達と会えて楽しかった」と、評価するのではなく、ただ観察する。
大事にしたのは、自分を責めないこと。使いすぎた週があっても「ダメだな、私」とは思わない。「今週はこういう週だったんだな」と受け止める。家計簿は反省文ではなく、自分を知るためのツールだと考えた。
友達との会話も変わった。以前は「お金がない」と愚痴をこぼしていたけど、今は「今月はこれにお金を使ってるんだよね」と具体的に話せるようになった。すると、友達も「分かる! 私もそう」と共感してくれたり、「私はこうしてるよ」とアドバイスをくれたりした。
日常や生活でどう変わったか
家計簿をつけ始めて三ヶ月が経った頃、自分の日常が少しずつ変化していることに気づいた。劇的な変化ではない。でも、確実に何かが違っていた。
まず、買い物の仕方が変わった。以前はスーパーに行くとき、特に計画を立てずに「なんとなく」店内を回っていた。そして、目についたものをカゴに入れていた。結果、家に帰ると似たような食材がダブっていたり、使い切れずに腐らせてしまったりしていた。
今は、買い物に行く前にスマホのメモアプリに必要なものをリストアップする。そして、スーパーではそのリストだけを見て買う。最初は窮屈に感じたけど、慣れてくると逆に楽だった。悩む時間が減って、買い物がスムーズになった。そして何より、食品ロスが激減した。
面白い変化は、コンビニとの付き合い方だった。以前は毎日のように寄っていたコンビニに、週に1〜2回しか行かなくなった。別に「行かない」と決めたわけじゃない。ただ、必要がないときは寄らなくなった。
そして気づいたのは、コンビニに寄らないと時間に余裕ができるということだった。帰り道に寄らなければ、その分早く家に着く。10分、15分の違いだけど、その時間で洗濯物を畳んだり、明日の準備をしたり、好きな音楽を聴いたりできる。お金だけでなく、時間も節約していたんだと実感した。
職場でのランチも変化した。以前は「みんなが行くから」という理由で外食することが多かったけど、今は「今日は本当に外で食べたいか」を自問するようになった。そして、お弁当を持ってきている日は、「今日はお弁当なんだ」と断れるようになった。
不思議なことに、断っても人間関係は悪くならなかった。むしろ、「そうなんだ、偉いね」と言われることが多かった。自分が思っているほど、他人は気にしていないんだと分かった。
服を買うときの心境も大きく変わった。以前はセールやバーゲンがあると、「安いから」という理由で買っていた。クローゼットには着ない服が溢れていた。今は、「本当に気に入ったものだけ」を買うようになった。多少高くても、「これは長く着る」と思えるものを選ぶ。
結果的に、服の購入頻度は減ったけど、満足度は上がった。クローゼットを開けたとき、「着る服がない」と思わなくなった。全部、お気に入りの服だから。毎朝の服選びが楽しくなった。
友達との関係も少し変わった。以前は誘われれば何でも「行く行く!」と答えていた。断るのが苦手だった。でも、家計簿をつけることで、自分の優先順位が見えてきた。
本当に会いたい友達との食事には、惜しまずお金を使う。でも、義理で参加していた飲み会は、「今月は予定が詰まっててさ」と断れるようになった。そうすると、残った時間で本当に大切な人と深い時間を過ごせるようになった。
休日の過ごし方も変わった。以前は「なんとなく」ショッピングモールに行って、「なんとなく」ウィンドウショッピングをして、「なんとなく」何か買う、という過ごし方が多かった。でも今は、「今日は何をしたいか」を朝に決める。読書をする日、友達に会う日、家でゆっくりする日。意識的に選ぶようになった。
お金を使わない休日も増えた。図書館で本を借りて読んだり、近所を散歩したり、家で映画を観たり。「お金を使わない=つまらない」ではないことに気づいた。むしろ、お金を使わない日のほうが、ゆっくり時間が流れる感覚があった。
そして、何より大きな変化は、「お金がない」と言わなくなったことだった。以前は口癖のように言っていた。でも今は、自分のお金の流れが見えているから、「お金がない」んじゃなくて「今月はこれに使った」と言える。被害者意識がなくなった。
続けてみて見えてきたこと
半年が過ぎた頃、私はアプリの「半年レポート」機能を開いてみた。そこには、過去半年間の支出の推移がグラフで表示されていた。
最初の月は支出が27万円だった。二ヶ月目は23万円。三ヶ月目は21万円。そして今月は19万円。着実に減っている。でも、それよりも私が驚いたのは、支出の内訳の変化だった。
最初の月は「食費」が最も大きな割合を占めていた。次に「被服費」「娯楽費」と続く。でも、半年後の今月を見ると、「心の栄養費」というカテゴリーが上位に来ていた。「未来への投資」も増えている。一方で、「なんとなく支出」は半分以下に減っていた。
金額が減ったことも嬉しかったけど、それ以上に「自分の意思で使っている割合」が増えたことが嬉しかった。以前は、自分でもよく分からないうちにお金が消えていた。今は、一つ一つの支出に納得している。
面白い発見もあった。数字を眺めていて気づいたのは、「幸福度と支出額は比例しない」ということだった。例えば、最も支出が多かった最初の月は、実はあまり幸せを感じていなかった。買い物をしても、すぐに「これじゃない」感に襲われて、また別のものを買う。満たされない気持ちのまま、ただ支出が増えていた。
一方で、支出が減った今のほうが、日々の満足度は高い。朝のコーヒー、友達との食事、好きな本。一つ一つに意味があって、味わって楽しめている。「少なく持って、豊かに生きる」という言葉の意味が、ようやく分かった気がした。
ある日、最初に家計簿アプリを勧めてくれた同僚の美咲とランチをした。「ねえ、家計簿続いてる?」と聞かれて、「うん、毎日つけてるよ」と答えた。すると彼女は嬉しそうに笑って、「良かった! 私、あのとき無理やり勧めちゃったから、続かなかったらどうしようって思ってたんだ」と言った。
「全然、無理やりじゃなかったよ。むしろ、教えてくれて本当にありがとう」と伝えた。そして、この半年で気づいたことを話した。本当に無駄だった支出の正体は、金額の大きさじゃなくて、「自分の意思がない支出」だったこと。習慣や義理、見栄や不安から生まれる支出が、実は一番の無駄だったこと。
美咲は頷きながら聞いていた。「分かる。私も最初、同じことに気づいた。お金の使い方って、生き方そのものなんだよね」と言った。その言葉に、深く共感した。
家計簿をつけることで、私は自分自身と向き合うことになった。どんなときにストレスを感じるのか、何に幸せを感じるのか、何を大切にしているのか。支出の記録を通じて、自分の価値観が見えてきた。
そして気づいたのは、お金の管理は「我慢」ではないということ。本当に大切なものには、むしろ積極的にお金を使う。でも、そうでないものには使わない。その選択ができるようになることが、本当の意味での「お金の管理」なんだと理解した。
今でも完璧ではない。衝動買いをしてしまう日もあるし、「なんとなく支出」がゼロになったわけでもない。でも、それでもいいと思っている。大事なのは、完璧になることじゃなくて、自分の行動に気づいていること。そして、少しずつでも自分の意思で選択できるようになること。
最近、後輩から「お金の管理、どうやってますか?」と相談された。以前の私だったら、「いや、私も全然できてないよ」と答えていただろう。でも今は違う。「スマホの家計簿アプリ、使ってみたら?」と自信を持って勧められる。そして、「数字を記録するだけじゃなくて、自分と向き合うつもりでやってみて」と伝えた。
まとめ
あれから一年が経った今、家計簿をつけることは完全に習慣になった。朝、歯を磨くのと同じくらい自然に、支出を記録している。そして、週末の「家計簿タイム」は、私にとって大切な自分との対話の時間になった。
貯金額も確実に増えた。最初の目標だった「毎月貯金する」は達成できている。でも、それよりも大きな収穫があった。それは、「自分の人生を自分で選んでいる」という実感だ。
以前の私は、お金に振り回されていた。「お金がないから」「セールだから」「みんなが買ってるから」。そんな理由で、自分の意思とは関係なく、ただ流されて生きていた。
今は違う。一つ一つの支出に、自分の意思がある。これは必要だから買う。これは心を豊かにしてくれるから買う。これは未来のために投資する。そういう選択ができるようになった。
そして分かったのは、本当に無駄だった支出の正体は、「自分を見失っていた証拠」だったということ。なんとなく買ってしまうのは、自分が何を望んでいるのか分からなくなっているから。習慣で買ってしまうのは、立ち止まって考える余裕を失っているから。見栄で買ってしまうのは、自分に自信が持てていないから。
家計簿という小さなツールが、私にそのことを教えてくれた。数字は冷たく見えるけど、実は自分の心の動きを映す鏡だった。
これからも、私は家計簿をつけ続けると思う。完璧にやろうとは思わない。でも、自分と向き合う時間として、大切にしていきたい。そして、もし誰かが「お金がなくて困ってる」と言っていたら、そっとこの話をしてあげたいと思う。
「一度、記録してみたら? きっと、見えてくるものがあるから」と。


