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Googleカレンダーで予定管理が苦痛じゃなくなった私の小さな変化

Googleカレンダーで予定管理が苦痛じゃなくなった私の小さな変化

触れたきっかけと思ったこと

手帳を開くたび、ため息が出ていた。

真っ白なページが何週間も続いていたり、逆に予定を詰め込みすぎて見返すのが億劫になったり。予定を書き込んだつもりが書いてなくて約束を忘れたこともある。何より、予定を管理すること自体が義務のように感じられて、手帳を開くだけで心が重くなっていた。

「きちんとした人は手帳を使いこなしている」という思い込みがあって、私もちゃんとしなきゃと何度も手帳を買い替えた。月間カレンダーがいいのか、週間バーチカルがいいのか。それとも1日1ページタイプなのか。毎年、年始になると文房具店で悩んで、今年こそは続けられる手帳を選ぼうと必死だった。

でも結局、どれを選んでも同じだった。最初の1ヶ月はきれいに使えるのに、2月に入るころには白紙のページが増えていく。予定を書くのを忘れて、スマホのメモアプリに適当に記録したり、付箋に書いて貼ったり。情報があちこちに散らばって、結局どこに何を書いたのか分からなくなる。

そんなとき、同僚の香織さんとランチをしていて、ふと予定の話になった。

「来週の会議、木曜だっけ?」と私が聞くと、香織さんはさっとスマホを取り出して「火曜の14時だよ。もう招待送ってるはずだけど」と答えた。私が手帳をカバンからごそごそ探している間に、彼女はもう次の話題に移っていた。

「私、Googleカレンダーに全部入れてるから楽なんだよね」

その言葉が妙に引っかかった。楽、という言葉。予定管理が楽だと感じている人がいるという事実が、新鮮だった。私にとって予定管理はずっと「やらなければいけない苦行」だったから。

香織さんは特別几帳面な性格というわけでもない。むしろ大雑把なところもある人だ。そんな彼女が「楽」だと言い切るなら、何か違うアプローチがあるのかもしれない。そう思って、試しに使ってみることにした。

最初は正直、またどうせ続かないだろうと思っていた。手帳もダメだったのに、デジタルツールが続くわけがない。でも、苦痛から逃れられるなら、試してみる価値はあるかもしれない。そんな軽い気持ちだった。

最初に戸惑った体験

アプリを開いた瞬間、思ったよりシンプルな画面に少し拍子抜けした。

何か特別な機能があるのかと期待していたけれど、見えるのはただのカレンダー。日付が並んでいるだけ。これのどこが「楽」なんだろうと、正直疑問だった。

とりあえず明日の予定を入れてみることにした。タップして、時間を選んで、予定のタイトルを入れる。ここまでは分かる。でも入力欄がいくつもあって、何を入れればいいのか迷った。場所?説明?通知?ゲスト?

結局、タイトルだけ入れて保存した。「歯医者 14:00」とだけ。これで本当に使えるのか不安だった。

次の日、歯医者の予定の1時間前に、突然スマホが鳴った。通知が来ていた。「歯医者 14:00」という文字。あ、そうか、自動で通知してくれるんだ。設定した覚えはなかったけれど、デフォルトで1時間前に通知が来るようになっていたらしい。

これは少し便利かもしれない、と思った。手帳だと、自分で時計を見て予定を確認しなければいけない。でもこれなら、向こうから教えてくれる。忘れっぽい私には合っているかもしれない。

でも同時に、戸惑いもあった。

予定を入れるとき、何時間も前から準備が必要なものと、ぎりぎりでいいものがある。歯医者は1時間前の通知でよかったけれど、例えば友達との約束で電車で1時間かかる場所なら、もっと前に通知がほしい。どうやって調整すればいいんだろう。

それに、予定を入れる場所がスマホの中だけというのも、なんとなく不安だった。手帳なら物理的に存在していて、開けば必ず予定が見える。でもスマホだと、アプリを開かないと見えない。本当にこれで大丈夫なのか、という漠然とした不安があった。

さらに困ったのは、過去の手帳に書いていた予定をどうするかということだった。手帳には、予定だけじゃなくて、その日あったことや感じたこともメモしていた。あのカフェがよかったとか、この本を読んだとか。そういう記録はGoogleカレンダーには向いていないんじゃないか。

最初の1週間は、手帳とGoogleカレンダーの両方を使っていた。予定は両方に書いて、メモは手帳だけに書く。でもそれだと結局二度手間で、余計に面倒だった。どちらかに統一したいけれど、どちらを選べばいいのか決められなかった。

ある日、友達と会う約束を手帳にだけ書いて、Googleカレンダーには入れ忘れた。当然通知も来ず、約束の時間を30分過ぎてから気づいた。友達からの「もう着いたよ?」というメッセージを見て、血の気が引いた。

これは中途半端に使っているからだ、とそのとき気づいた。どちらも使おうとすると、結局どちらも中途半端になる。本気で試すなら、一度Googleカレンダーだけに絞って使ってみないと意味がない。

そう決めて、次の日から手帳は引き出しにしまった。予定は全部、Googleカレンダーに入れることにした。不安はあったけれど、とりあえずやってみることにした。

試行錯誤しながら気づいたこと

Googleカレンダーだけを使い始めて、最初に困ったのは「色」だった。

すべての予定が同じ青色で表示されていて、カレンダーを見ても何が何だか分かりにくかった。仕事の会議も、病院の予定も、友達との約束も、全部同じ色。重要度も緊急度も区別がつかない。

ある日、カレンダーを眺めていて、予定をタップしたら編集画面が開いた。そこで「カレンダー」という項目があることに気づいた。選択肢を見ると、いくつかカレンダーが作れるようになっているらしい。

試しに「仕事」というカレンダーを新しく作ってみた。すると、そのカレンダーは緑色で表示された。なるほど、カレンダーを複数作って使い分けるのか、と理解した。

それから「プライベート」「家族」「病院・役所」というカレンダーも作った。仕事の予定は緑、プライベートは青、家族はオレンジ、病院や役所関係は赤。色分けしたら、カレンダーを見たときにぱっと分かるようになった。

でもしばらく使っていると、また別の問題が出てきた。

予定のタイトルをどう書くかで迷ったのだ。「会議」とだけ書いても、何の会議か後で見返したときに分からない。「◯◯プロジェクト定例会議 △△さんと進捗確認 資料A持参」と詳しく書くと長すぎて、カレンダー上で全文が表示されない。

試行錯誤の末、タイトルは短く本質だけにして、詳細は「説明」欄に書くことにした。タイトルは「◯◯定例」とだけ書いて、説明欄に「進捗確認。資料A持参。△△さんと次回スケジュール調整」と書く。こうすれば、カレンダーを見たときは簡潔で、詳細を知りたいときはタップすれば見られる。

通知のタイミングも工夫した。

デフォルトの1時間前通知だと、遠い場所への外出に間に合わないことがあった。逆に、自宅でのオンライン会議なら1時間も前に通知が来ても早すぎる。

それで、予定ごとに通知時間を変えることにした。外出を伴う予定は2時間前、近場なら1時間前、オンラインなら30分前。さらに、絶対に忘れたくない重要な予定には、通知を2つ設定した。前日の夜と当日の朝、みたいに。

この使い方を始めてから、予定を忘れることがほぼなくなった。

もう一つ気づいたのは、予定と予定の間の「空白時間」が見えるようになったことだった。

手帳を使っていたときは、予定だけを書いていた。10時に会議、14時に打ち合わせ、みたいに。でもGoogleカレンダーは、予定を時間軸上にブロックとして表示する。だから、10時から11時まで会議、その後11時から14時までは何もない、というのが視覚的に分かる。

この空白時間が見えることで、「この間に何ができるか」を考えるようになった。3時間も空いているなら、資料作成ができる。30分しかないなら、メールチェックだけにしよう、とか。時間の使い方が、前よりも現実的になった気がした。

手帳に予定を書いていたときは、予定だけを見て「今日は忙しい」とか「今日は暇だ」とか思っていた。でも実際は、予定と予定の間の時間の使い方で、一日の充実度は変わる。それが視覚化されたことで、時間に対する意識が変わった。

それと、過去の予定が自動で記録されていくのも、思った以上に良かった。

手帳だと、予定が終わったらそれっきりだった。振り返ろうと思っても、どこに何を書いたか探すのが面倒で、結局見返さない。でもGoogleカレンダーは、過去の予定も全部残っている。

ふとした瞬間に「あの打ち合わせ、いつだったっけ?」と思ったとき、すぐに検索できる。しかも、予定に場所やメモを書いておけば、それも一緒に見返せる。あのとき誰と会って何を話したか、自然に記録されていく感覚があった。

自分なりに工夫したポイント

使い続けるうちに、自分なりのルールができていった。

まず、予定には必ず「場所」を入れるようにした。オンライン会議なら「Zoom」とか「Teams」と書く。対面なら具体的な住所やビル名を入れる。こうしておくと、予定をタップしたときにGoogleマップとの連携が働いて、そのままナビが使える。これが本当に便利だった。

初めて行く場所の打ち合わせで、予定に住所を入れておいたら、出発時間にGoogleカレンダーが「そろそろ出発する時間です」と通知してくれた。しかも「現在地から◯◯分かかります」と移動時間まで表示された。交通状況まで加味してくれているらしく、いつもより早めに出た方がいいと教えてくれた。

それから、定期的な予定は「繰り返し」機能を使うようにした。

毎週月曜の朝会、毎月第一金曜の定例会議、みたいな予定は、一つ一つ入力していたら面倒だ。でも繰り返し設定をしておけば、一度の入力で自動的に予定が入る。最初にこの機能を知ったとき、なんでもっと早く使わなかったんだろうと思った。

ただし、繰り返し予定には注意も必要だった。一度設定すると、キャンセルや変更があったときに、その一回だけを変更するのか、それ以降全部を変更するのか、選ばなければいけない。最初は間違えて全部変更してしまい、慌てて元に戻したこともあった。

もう一つ工夫したのは、「予定じゃないこと」もカレンダーに入れたことだった。

例えば「この日は集中して資料作成したい」という日は、午前中まるごと「資料作成」という予定を入れてしまう。誰かとの約束じゃないから、本来は予定じゃない。でもカレンダーにブロックしておくと、その時間に別の予定を入れにくくなる。

これをやり始めてから、「いつの間にか予定が詰まって自分の時間がない」という状況が減った。自分のための時間も、一つの予定として確保するようになった。

色の使い方も、最終的に自分なりのルールを決めた。仕事は緑、プライベートは青、家族は赤、自分時間は黄色。黄色の予定は、読書とか散歩とか、誰とも約束していない自由時間。この黄色のブロックが週に何個あるかで、自分の余裕度が測れるようになった。

あと、予定のタイトルに絵文字を使い始めた。最初は抵抗があったけれど、試しに使ってみたら分かりやすかった。「🏥健康診断」「📞電話会議」「✈️出張」みたいに。カレンダーを眺めたとき、文字を読まなくても何の予定かパッと分かる。

それと、大事な予定の前日には「準備」という予定を入れるようにした。例えば、木曜にプレゼンがあるなら、水曜の夕方に「プレゼン準備」という30分の予定を作る。これがあるだけで、前日に慌てることが減った。予定そのものだけじゃなくて、その予定のための準備時間も予定として確保する。この考え方は、自分には合っていた。

通知も、単に時間だけじゃなくて、内容に合わせて工夫した。例えば持ち物が必要な予定なら、通知のタイミングで「印鑑持った?」と自分にリマインドできるように、説明欄に書いておく。通知が来たときに予定をタップすれば、持ち物リストが見られる。

Googleカレンダーは単なる予定表じゃなくて、自分専用のアシスタントみたいに使えると気づいた。予定を入れるだけじゃなくて、その予定にまつわる情報を全部まとめておける場所。そう考えたら、使い方の幅が広がった。

実際の場面でどう役立ったか

本当に助かったのは、母の入院が決まったときだった。

突然のことで、頭が真っ白になった。病院の予約、入院の手続き、仕事の調整、家のこと。やらなければいけないことが一気に押し寄せてきて、何から手をつければいいのか分からなくなった。

そんなとき、とりあえず思いつくことを全部Googleカレンダーに入れた。「入院説明 10/15 14:00 ◯◯病院」「洗濯物取りに行く 毎日18:00」「主治医と面談 10/20 10:00」「仕事・△△プロジェクト進捗報告 10/18 急ぎ」。

予定だけじゃなくて、やるべきタスクも時間を決めて予定として入れた。とにかく全部カレンダーに入れて、頭の中を空っぽにした。そうしたら、不思議と落ち着いた。

カレンダーを見れば、今日何をすればいいか分かる。明日は何があるかも分かる。一つ一つの予定に通知が来るから、忘れることもない。頭で覚えておかなくていいというのが、こんなに楽だとは思わなかった。

仕事でも、大きなプロジェクトを任されたときに役立った。

複数のチームと連携する案件で、会議や締切がたくさんあった。以前だったら、メモを取っても情報が散らばって、何が何だか分からなくなっていたと思う。

でもGoogleカレンダーに全部入れたら、全体像が見えた。どの週が特に忙しいか、どの日に余裕があるか。締切の前にどれくらい準備期間があるか。視覚的に把握できた。

しかも、チームメンバーにカレンダーの予定を共有できた。会議の予定を作るときに、メンバーを「ゲスト」として招待すると、相手のカレンダーにも予定が入る。全員が同じ情報を見られるから、認識のズレが減った。

「来週の会議、火曜だっけ水曜だっけ?」みたいなやり取りがなくなった。みんなカレンダーを見ればいいから。この効率の良さは、一人で使っているとき以上に実感した。

プライベートでも、友達との旅行計画を立てるときに使った。旅行の予定を作って、友達をゲストに招待する。「1日目 10:00 ◯◯駅集合」「1日目 12:00 ランチ △△レストラン」「1日目 15:00 美術館」みたいに、詳細なスケジュールを入れて共有した。

場所の情報も入れておいたから、当日は迷わなかった。予定をタップすればGoogleマップが開いて、そこまでの道順が分かる。友達も「これ便利だね」と言ってくれて、嬉しかった。

それから、習慣化したいことにも使えると気づいた。

毎日ジョギングしたいと思っても、なかなか続かなかった。でも「ジョギング 毎日6:00」という繰り返し予定を作ったら、毎朝通知が来る。これが意外と効果的だった。

予定として入っていると、やらなければいけない気持ちになる。しかも、実際にやったかどうかを後で見返せる。予定通りにできた日は達成感があるし、できなかった日は「じゃあいつやろうか」と予定を移動させる。

ジョギングに限らず、「毎週末、部屋の掃除」とか「月に一度、家計簿つける」とか、定期的にやりたいことを予定として入れるようになった。予定に入れないと忘れてしまうことも、カレンダーが思い出させてくれる。

一番良かったのは、心の余裕ができたことだった。

以前は常に「何か忘れてないかな」という不安があった。頭の中で予定を反芻して、大丈夫かなと何度も確認していた。でも全部カレンダーに入れるようになってから、その不安がなくなった。

忘れていても、カレンダーが教えてくれる。だから、今やっていることに集中できる。頭のメモリが他のことに使えるようになった感覚があった。

続けてみて変化したこと

半年ほど使い続けて、自分の時間の使い方が変わっていることに気づいた。

以前は、目の前の予定をこなすだけで精一杯だった。今日これ、明日あれ、と追われるように過ごしていた。でもGoogleカレンダーで全体を見られるようになってから、一週間単位、一ヶ月単位で予定を考えるようになった。

来月のこの週は予定が詰まっているから、今のうちに準備しておこう。再来週は余裕がありそうだから、この時期に新しいことに挑戦してみよう。そんなふうに、先を見て動けるようになった。

色分けしたカレンダーを眺めていると、自分が何に時間を使っているかも見えてきた。

ある月、カレンダーが緑色ばかりだった。仕事の予定で埋め尽くされている。青色のプライベートの予定がほとんどない。これを見て、バランスが悪いなと感じた。

それから意識的に、青色の予定を増やすようにした。友達とランチする、映画を見る、一人でカフェに行く。小さな予定でもいいから、プライベートの時間を確保する。カレンダーに色のバランスが欲しいと思うようになった。

黄色の「自分時間」も、定期的に入れるようにした。週に一度は、何も予定のない自由な時間を作る。その時間は何をしてもいいし、何もしなくてもいい。ただ、その時間を守ることだけを決めた。

こうして予定を視覚化することで、自分の生活のバランスを客観的に見られるようになった。忙しすぎるときは予定を減らそうと思えるし、暇すぎるときは何か新しいことを始めようと思える。

人間関係にも変化があった。

友達と約束するとき、以前は「じゃあまた連絡するね」と言って、結局連絡しないまま数ヶ月経つことがあった。でも今は、その場でカレンダーを開いて「じゃあ来月のこの日は?」と具体的な日程を決められる。

しかも予定を共有できるから、相手も予定を確認できる。ドタキャンや忘れることが減って、約束が確実に実行されるようになった。そうすると、関係も深まる気がした。

家族との予定も共有するようにした。夫と同じカレンダーを見られるようにして、お互いの予定が分かるようにした。「今週の土曜、空いてる?」「カレンダー見て」というやり取りが当たり前になった。

最初、夫は「監視されてる気分にならない?」と言っていた。でも使ってみたら、便利だと納得してくれた。お互いの予定が分かるから、調整しやすい。「この日は帰りが遅いから夕飯いらない」とか、いちいち口で言わなくても予定を見れば分かる。

何より、予定管理そのものが苦痛じゃなくなった。

手帳を使っていたときは、予定を書くことが義務だった。書かなきゃいけない、ちゃんと管理しなきゃいけない、という強迫観念があった。でもGoogleカレンダーは、そういう感覚がない。

予定を入れるのは一瞬だし、通知が来るから安心だし、過去の記録も自動で残る。何も頑張らなくても、自然に予定が管理できている感覚がある。

それに、スマホがあればどこでも見られるし、入力できる。電車の中でも、カフェでも、ふと思い出したときにその場で予定を入れられる。わざわざ手帳を取り出す必要がない。

この手軽さが、続けられる理由だと思った。

予定管理は特別なことじゃなくて、生活の一部になった。朝起きて、今日の予定を確認する。移動中に来週の予定を見る。新しい予定が入ったらその場で登録する。呼吸するように、自然にやっている。

そして気づいたのは、予定を管理できると、心に余裕ができるということだった。

やるべきことが明確になって、優先順位がつけられる。何を今やって、何を後回しにしていいか、判断できる。全部を頭の中で覚えておかなくていいから、目の前のことに集中できる。

以前は常に何かに追われている感じがあったけれど、今は自分で時間をコントロールしている感覚がある。予定に振り回されるんじゃなくて、予定を使いこなしている感じ。この感覚の違いは大きかった。

まとめ

今、Googleカレンダーは私の生活に欠かせないものになっている。

最初は「また新しいツールか」と半信半疑だった。手帳でもダメだったのに、デジタルにしたからって何が変わるんだろう、と思っていた。でも実際に使い続けてみて、問題はツールじゃなかったと気づいた。

予定管理が苦痛だったのは、自分に合った方法を見つけていなかったからだった。手帳が悪いわけじゃない。ただ、私には合っていなかっただけ。

Googleカレンダーが私に合っていたのは、いくつか理由がある。通知が自動で来ること。スマホがあればどこでも使えること。過去の記録が自動で残ること。予定を共有できること。視覚的に時間の使い方が分かること。

でも一番大きいのは、予定を管理することが「義務」から「サポート」に変わったことだと思う。

やらなきゃいけないことじゃなくて、自分を助けてくれるもの。忘れないように、焦らないように、余裕を持って過ごせるように。そばにいてくれるアシスタントみたいな存在。

色分けしたり、通知時間を工夫したり、自分の使い方を見つける過程も楽しかった。最初は戸惑ったけれど、試行錯誤しながら自分なりのルールを作っていく。その過程で、自分の生活のリズムや大切にしたいことが見えてきた。

予定管理は、単に予定を忘れないためのものじゃなかった。自分の時間をどう使いたいか、何を大切にしたいか、それを考えるためのツールだった。

カレンダーを見ながら、「来週はもう少し余裕が欲しいな」とか「今月はプライベートの時間が少なかったな」とか、自分の生活を振り返るようになった。そして、じゃあどうしようかと考えて、予定を調整する。

今、カレンダーを開くのが苦痛じゃない。むしろ、開くのが楽しみになっている。今週はどんな一週間になるだろう、来月はどんな予定が入るだろう、と考えるのがワクワクする。

予定がたくさん入っている日も、真っ白で何もない日も、どちらもいい。大事なのは、自分でそれを選んでいるという感覚があること。予定に追われるんじゃなくて、予定をデザインしている感じ。

Googleカレンダーを使い始めて、私の毎日は確実に変わった。劇的な変化じゃないけれど、小さな安心感と余裕が積み重なって、生活が少しだけ楽になった。

予定管理が苦痛だった私が、今では予定を立てることを楽しんでいる。この変化は、自分でも驚いている。そして、もっと早く出会いたかったと、少しだけ思っている。

CapCut(キャップカット):無料でプロ級動画編集ができる万能アプリの魅力と使いこなし

動画編集なんてしたことのなかった私が、気づいたら毎週のように映像をつくるようになっていた話

触れたきっかけと思ったこと

友人の結婚式の二次会で流す映像を頼まれたのが始まりだった。「スマホで撮った写真と動画をいい感じにまとめてほしい」と軽く頼まれたものの、私は今まで動画編集なんてしたことがなかった。パソコンにインストールするような本格的なソフトは高額だし、操作も難しそうで敷居が高い。かといって、大切な友人の晴れ舞台で使う映像を適当なもので済ませるわけにもいかない。

スマホで何かいいアプリがないかと探していたとき、妹が「私これ使ってるよ」と教えてくれたのが、無料で使える動画編集のアプリだった。妹は趣味でダンスをしていて、練習動画をよくSNSに投稿している。その動画がいつも見やすくて、テロップやエフェクトもついていて「どうやって作ってるんだろう」と思っていたのだけれど、まさかスマホアプリだけで完結していたとは驚きだった。

最初は「無料だし、たぶん機能も限られているんだろうな」と正直あまり期待していなかった。これまでも無料の写真加工アプリなどを使って、透かしのロゴが入ったり、保存するのに課金が必要だったりという経験を何度もしていたから。でも妹が実際に作った動画を見せてもらうと、本当にクオリティが高くて、これが無料でできるのかと信じられない気持ちになった。BGMもちゃんと入っているし、場面転換もスムーズで、とても素人が作ったとは思えない仕上がりだった。

「まあ、とりあえずダウンロードだけしてみるか」という軽い気持ちでインストールしてみた。結婚式まであと三週間。時間はあまりなかったけれど、何もしないよりはマシだろうと考えていた。このときはまだ、自分がこんなにも動画編集にハマることになるとは思ってもいなかった。

最初に戸惑った体験

アプリを開いて最初に困ったのは、あまりにも機能が多すぎることだった。無料アプリだから機能が少ないだろうと思っていたのに、画面にはたくさんのメニューが並んでいて、何から手をつければいいのか全くわからなかった。「新しいプロジェクト」というボタンを押して、とりあえず友人から預かっていた写真と動画を読み込んでみた。

タイムラインに素材が並んだものの、そこからが問題だった。素材をタップすると編集メニューが出てくるのだけれど、「トランジション」「アニメーション」「エフェクト」「フィルター」など、専門用語のようなものがずらりと並んでいる。動画編集の知識がゼロの私には、それぞれが何を意味するのかさっぱりわからなかった。試しに「エフェクト」を押してみると、さらに何十種類ものエフェクトが表示されて、もう頭が混乱してしまった。

最初の一時間は、ただ適当にいろいろな機能を触っては「あ、これは違う」と戻る作業の繰り返しだった。写真を切り替えるときにふわっとした効果を入れたいのに、どこをどう操作すればいいのかわからない。音楽を入れようとしたら、動画の音声と重なって変な感じになってしまった。テロップを入れたいのに、テキストの大きさや位置を調整する方法がわからず、画面の端っこに小さな文字が表示されるだけで、全然思い通りにならなかった。

妹に「わからないことがあったら聞いて」と言われていたけれど、何がわからないのかすらわからない状態で、どう質問していいかもわからなかった。結局その日は二時間ほど格闘して、たった十秒程度の映像を作っただけで終わってしまった。しかもその十秒も、素材をただ並べただけのもので、とても人に見せられるようなクオリティではなかった。

このとき初めて、「動画編集って簡単そうに見えて、実は奥が深いんだな」と実感した。妹が作っていた動画も、きっと何度も試行錯誤して作り上げたものなんだろう。無料だからといって甘く見ていた自分を少し反省した。でも同時に、これだけ機能があるということは、使いこなせればかなりいいものが作れるはずだという期待も湧いてきた。

試行錯誤しながら気づいたこと

翌日、気持ちを切り替えてもう一度挑戦してみることにした。前日の失敗を踏まえて、今度は一つ一つの機能をじっくり確認しながら進めることにした。まずはシンプルに、写真を順番に並べて、それぞれの表示時間を調整するところから始めた。素材をタップして長押しすると、表示時間を伸ばしたり縮めたりできることに気づいた。これだけでも、写真の切り替わるリズムが全然違って見えることに驚いた。

次に挑戦したのが、写真と写真の間の切り替え効果だった。前日は「トランジション」という言葉の意味がわからなくて避けていたのだけれど、実際に触ってみると、これが場面転換の効果のことだとわかった。何十種類もあるトランジションを一つずつ試してみると、スライドするもの、フェードするもの、回転するものなど、それぞれ全く雰囲気が違った。結婚式の映像には派手すぎるものは合わないだろうと考え、シンプルなフェードやディゾルブといった効果を中心に選んでいった。

音楽を入れる作業も、前日よりはスムーズにできた。アプリ内に用意されている音源がたくさんあって、ジャンル別に分類されていることに気づいた。結婚式向けの優しいピアノ曲やアコースティックギターの曲を試しに当ててみると、それだけで映像の雰囲気がぐっと良くなった。ただ、音楽の長さと映像の長さが合わなくて、音楽が途中で切れてしまう問題が発生した。

ここで悩んだのだけれど、いろいろ調べてみると、音楽の長さに合わせて映像の長さを調整する方法と、音楽自体をカットして映像の長さに合わせる方法の両方があることがわかった。私は後者を選んで、音楽の盛り上がる部分をうまく使えるように、曲の前半と後半を組み合わせてみた。これが意外とうまくいって、自然な流れができた。

テロップについても、少しずつコツがわかってきた。テキストを入れるときは、背景の色によって文字が見えにくくなることがあるので、縁取りや影をつける機能を使うといい。フォントの種類も豊富で、結婚式らしい上品なものから、ポップで楽しいものまで選べた。ただ、あまり凝りすぎると逆に読みにくくなるので、シンプルなデザインを心がけた。

この段階で気づいたのは、動画編集には「引き算」の美学があるということだった。最初はあれもこれもと盛り込みたくなるのだけれど、実際に見てみると、情報が多すぎて逆にわかりにくくなってしまう。本当に必要な要素だけを残して、余計なものは削る。この判断ができるようになってから、作品のクオリティが一気に上がった気がした。

自分なりに工夫したポイント

結婚式の映像づくりで一番悩んだのが、ストーリーの構成だった。ただ写真を時系列に並べるだけでは面白くないし、かといって凝りすぎても見ている人が疲れてしまう。友人カップルの出会いから結婚に至るまでのストーリーを、どう映像で表現するか。何日も考えて、最終的に「章立て」の構成にすることにした。

「出会い編」「交際編」「プロポーズ編」「これから編」という四つの章に分けて、それぞれの章の最初にタイトル画面を入れることにした。タイトル画面には、テキストアニメーションという機能を使って、文字がふわっと現れる演出を加えた。この章立て構成のおかげで、全体の流れがわかりやすくなったし、メリハリもついた。

もう一つ工夫したのが、音楽の使い分けだった。最初は一曲を通して使うつもりだったのだけれど、それだと単調になってしまう。そこで、章ごとに雰囲気の違う曲を使うことにした。出会い編は軽やかなピアノ曲、交際編は明るいアコースティック、プロポーズ編は感動的なストリングス、そして最後のこれから編は希望に満ちたアップテンポな曲。それぞれの曲の切り替わりも、場面転換とうまく合わせることで、自然な流れを作ることができた。

写真の見せ方にもこだわった。ただ静止画を表示するだけではなく、ゆっくりとズームインしたりズームアウトしたりする動きをつけることで、動画らしさが出ることに気づいた。この機能は「アニメーション」のメニューにあって、様々な動きのパターンが用意されていた。写真の中で特に見せたい部分に視線を誘導するような動きをつけると、よりドラマチックな印象になった。

色味の調整も重要だった。友人から預かった写真は、撮影した時期や場所がバラバラで、色合いが統一されていなかった。明るすぎるものもあれば、暗めのものもある。これをそのまま並べると、映像全体のクオリティが下がってしまう。そこで、フィルター機能を使って全体的に統一感のある色味に調整した。結婚式という華やかなシーンに合わせて、少し明るめで温かみのあるトーンに統一することで、プロが作ったような仕上がりになった気がした。

実際の場面でどう役立ったか(旅行・日常など)

結婚式の二次会で映像を流したとき、予想以上の反応があった。会場のみんなが真剣に見てくれて、感動的な場面では拍手も起こった。新郎新婦の二人も涙を流して喜んでくれて、「まるでプロが作ったみたい」と言ってもらえた。このときの達成感は今でも忘れられない。

この経験がきっかけで、自分の日常でも動画を作るようになった。最初は家族旅行の記録から始めた。両親と妹と四人で行った沖縄旅行。今までは写真を撮るだけで満足していたのだけれど、動画でまとめてみたらどうだろうと思った。海の映像、食事の様子、観光地での写真、そういったものを組み合わせて、三分程度の旅行記録映像を作ってみた。

旅の思い出を映像にすることで、その場の空気感まで残せることに気づいた。波の音、街の喧騒、家族の笑い声。静止画では伝わらない臨場感が、動画には確実にある。編集しながら旅を振り返ることで、その時の感情まで鮮明に思い出せた。完成した映像を家族で見たとき、母が「これ、すごくいいね。毎年作ってほしい」と言ってくれた。

その後、友人の誕生日サプライズ用の映像を頼まれることもあった。友人グループのメンバーから、それぞれお祝いメッセージの動画を集めて、一本にまとめる作業だった。人数が多かったので編集は大変だったけれど、メッセージの順番を工夫したり、間に思い出の写真を挟んだりして、ストーリー性のある構成にした。誕生日当日、サプライズで見せたときの友人の驚いた顔と嬉しそうな表情は、何時間もかけて編集した甲斐があったと思えるものだった。

日常的にも使うようになった。ペットの猫の成長記録を月ごとにまとめたり、料理を作る過程を早送り動画にしてみたり。SNSに投稿すると、友達から「いつもの写真投稿より見やすい」「動画のクオリティ高いね」といったコメントがもらえるようになった。特に料理動画は反応がよくて、レシピを聞かれることも増えた。

仕事でも役立つ場面があった。会社の部署で新人歓迎会を企画したとき、チームの紹介動画を作ることになった。メンバー一人一人の写真と簡単なプロフィール、そして歓迎メッセージを組み合わせた短い映像。これを入社初日の新人に見せたところ、「温かい雰囲気が伝わってきて嬉しかった」と言ってもらえた。上司からも「次回のプレゼン資料も、動画を取り入れてみないか」と提案され、新しい仕事のチャンスにもつながった。

続けてみて変化したこと

動画編集を続けていくうちに、自分の中で大きな変化が起きていることに気づいた。まず、日常の風景を見る目が変わった。以前は何気なく通り過ぎていた景色も、「これ、動画にしたら面白いかも」と考えるようになった。夕暮れ時の空、雨上がりの水たまり、カフェの窓から見える街並み。そういった何気ない瞬間に、映像的な美しさを見出せるようになった。

撮影の仕方も意識するようになった。以前は適当にシャッターを切っていたけれど、今は「後で編集することを前提に」撮るようになった。同じ場所を複数のアングルから撮ったり、動画と静止画を組み合わせて撮ったり。少し長めに動画を回しておいて、後から必要な部分だけを切り取る。こういった撮影技術も、編集を通して自然と身についていった。

音楽の聴き方も変わった。映像に合う曲はどういうものか、この曲のどの部分を使えば効果的か、そんなことを考えながら音楽を聴くようになった。カフェで流れているBGMを聞いて、「これ、旅行動画に合いそうだな」と思ったり、ドラマのサウンドトラックを聞いて、「このアレンジを参考にしてみよう」と考えたり。音楽と映像の関係性について、以前よりもずっと深く考えるようになった。

周りの人との関わりも増えた。動画を作っていることを知った友人たちから、いろいろな相談や依頼が来るようになった。「子供の運動会の映像をまとめてほしい」「結婚記念日に夫へのサプライズ動画を作りたい」「ペットの思い出動画を作りたい」。一つ一つの依頼に応えることで、誰かの大切な思い出づくりに関われることが嬉しかった。

自分の中に、新しい表現手段ができたことも大きな変化だった。以前は言葉で伝えることが苦手で、感謝の気持ちや大切に思っている気持ちをうまく表現できないことが多かった。でも、動画という形なら、自分の想いを伝えられる気がした。母の日に感謝の映像を作ったとき、面と向かっては恥ずかしくて言えない言葉も、映像という形なら素直に表現できた。母は何度も繰り返し見てくれて、「こんなに嬉しいプレゼントはない」と言ってくれた。

技術的にも確実に成長していることを実感できた。最初は一本の動画を作るのに何時間もかかっていたけれど、今では効率よく編集できるようになった。どの機能をどう使えば自分のイメージに近づけられるか、経験を重ねることで直感的にわかるようになってきた。新しいテクニックも、オンラインのチュートリアル動画などを見ながら少しずつ習得している。

最近では、単に編集技術だけでなく、ストーリーテリングの重要性も理解できるようになってきた。どんなにきれいな映像でも、どんなに高度な編集技術を使っても、そこに伝えたいメッセージや感情がなければ、見る人の心には響かない。逆に、シンプルな編集でも、ストーリーがしっかりしていれば人を感動させられる。これは動画編集に限らず、人生のいろいろな場面で応用できる考え方だと思った。

まとめ

友人の結婚式映像作りから始まった動画編集の旅は、予想もしなかった方向に私の日常を変えていった。最初は「無料のアプリでどこまでできるんだろう」という半信半疑な気持ちだったけれど、実際に使い込んでみると、その可能性の広さに驚かされ続けた。機能の豊富さに最初は戸惑ったものの、一つ一つ丁寧に向き合うことで、自分なりの使い方が見えてきた。

動画編集を通して気づいたのは、大切なのは高価な機材や難しいソフトではなく、何を伝えたいかという想いと、それを形にしようとする工夫だということ。スマホ一つあれば、誰かを感動させる映像は作れる。技術的な完璧さよりも、そこに込められた気持ちのほうが、見る人の心に届く。

今では、何か特別な出来事があるたびに「これを映像に残したい」と自然に考えるようになった。旅行や誕生日といったイベントだけでなく、何気ない日常の一コマも、後から振り返ったときに大切な思い出になる。そういった瞬間を映像として残せることは、人生を豊かにしてくれる素敵なツールだと思う。

動画編集は、思っていたよりずっと奥が深くて、でも思っていたよりずっと身近なものだった。専門的な知識がなくても、少しずつ学びながら楽しめる。失敗しても何度でもやり直せるし、試行錯誤すること自体が面白い。これからも、日常の中で心に残った瞬間を映像に残していきたいし、大切な人たちの記念日には、想いを込めた映像を贈っていきたい。

気づけば、動画編集は私の生活の一部になっていた。毎週末、何かしら編集作業をしている自分がいる。それは義務ではなく、純粋に楽しいからやっている。新しい表現方法を見つける喜び、誰かに喜んでもらえる嬉しさ、自分の成長を実感できる達成感。動画編集は、そのすべてを与えてくれた。あの日、結婚式の映像制作を引き受けて本当によかったと、心から思っている。

メルカリ初出品のドタバタ体験談:眠っていたバッグが旅立つまで

メルカリ初出品のドタバタ体験談:眠っていたバッグが旅立つまで

触れたきっかけと思ったこと

クローゼットの奥に眠っていたバッグを引っ張り出したのは、引っ越しの準備をしていた時だった。3年前に買ったけれど、結局2、3回しか使わなかったトートバッグ。当時は一目惚れして購入したものの、自分の生活スタイルに合わなかったのか、いつの間にか使わなくなっていた。

捨てるにはもったいない。でもこのまま持っていても使わない。そんな葛藤を抱えながら、ふと思い出したのが友人の言葉だった。「メルカリで売ればいいじゃん」と、彼女は当たり前のように言っていた。その友人は頻繁に不用品を出品しているらしく、「結構いい値段で売れるよ」なんて話していたのを思い出した。

正直なところ、私はフリマアプリというものに対して少し腰が引けていた。なんとなく面倒くさそうだし、知らない人とやり取りするのも不安だった。写真を撮って、説明文を書いて、値段を決めて...想像するだけで手間がかかりそうだ。それに、もし売れたとしても梱包や発送の手続きが複雑そうで、失敗したらどうしようという不安もあった。

でも、このバッグは定価で15,000円もしたものだ。ほとんど使っていないから状態も良好だし、誰か必要としている人に使ってもらえたら嬉しいという気持ちもあった。それに、引っ越しを機に物を減らしたいという思いも強かった。荷物が少なければ少ないほど、引っ越し費用も安くなるし、新しい部屋もすっきりする。

結局、「ダメ元でやってみるか」という軽い気持ちでアプリをダウンロードした。週末の午後、特に予定もなかったので、挑戦するには良いタイミングだと思った。画面を開いてみると、思った以上にシンプルな作りで、なんとなく「これなら自分にもできるかも」という気持ちになった。とはいえ、実際に出品する段階になると、予想もしていなかった壁がいくつも立ちはだかることになるのだが、その時の私はまだそれを知らなかった。

最初に戸惑った体験

出品ボタンを押したところまでは良かったのだが、最初の関門は写真撮影だった。スマホで適当に撮ればいいだろうと軽く考えていたのが大間違いだった。

まず、どこで撮ればいいのか分からない。床に置いて撮ってみたら、背景に生活感が出すぎてしまった。掃除機のコードが写り込んでいたり、カーペットのシミが目立ったり。これじゃあ売れるものも売れないだろうと思って撮り直し。今度はテーブルの上に置いてみたが、照明の関係で影ができて暗い印象になってしまった。

白い壁を背景にしてみたり、ベッドの上に置いてみたり、何度も場所を変えて撮影した。気づけば30枚以上撮っていた。でも、どの写真を見ても「なんか違う」という感じがする。他の人の出品写真を見てみると、みんな綺麗に撮っているのに、自分の写真は素人感が満載だった。

写真だけで1時間近く悩んだ後、ようやく「まあこれならいいか」という妥協点を見つけた。自然光の入る窓際で、白いシーツを背景にして撮影したものが一番マシに見えた。でも本当にこれで大丈夫なのか、不安は残ったままだった。

次に困ったのが商品説明の文章だった。何を書けばいいのか、どこまで詳しく書けばいいのか、全く分からない。「トートバッグです」だけじゃ素っ気なさすぎるし、かといって長々と書くのも大変だ。

他の人の出品を参考にしようと思って見てみたら、ブランド名、サイズ、色、素材、購入時期、使用頻度、傷や汚れの有無など、かなり細かく書いている人が多かった。「こんなに書かなきゃいけないのか...」と思いながら、バッグを手に取ってメジャーで測り始めた。

ところが、サイズを測るのもまた難しい。縦、横、マチの幅...どこからどこまでを測ればいいのか迷った。持ち手の長さも測った方がいいのかな、と思って測ってみたり。素材については、タグを見てもよく分からないカタカナが並んでいて、それをそのまま書き写した。

説明文を書いていて一番悩んだのが、傷や汚れについてだった。よく見ると、角の部分にほんの少しスレがあった。これって書くべきなのか、それとも気にしなくていいレベルなのか。正直に書いて売れにくくなるのも嫌だし、でも書かないで後からクレームが来るのも怖い。結局、「角に若干のスレがありますが、全体的に良好な状態です」と正直に書くことにした。

最後に悩んだのが値段設定だった。これが一番難しかった。高すぎたら売れないし、安すぎたら損した気分になる。同じようなバッグを検索してみたら、価格帯がバラバラで全く参考にならなかった。3,000円で出している人もいれば、8,000円で出している人もいる。状態や使用年数によって違うんだろうけど、自分のバッグが相場的にどのくらいなのか判断がつかなかった。

試行錯誤しながら気づいたこと

悩んだ末に、7,000円で出品することにした。定価の半額より少し下くらいなら、まあ妥当かなという感覚だった。でも、出品ボタンを押した瞬間から、不安で仕方なかった。本当にこれで合っているのか、誰か見てくれるのか、そもそも売れるのか。

出品してから数時間、スマホを何度も確認した。閲覧数というのが表示されていて、少しずつ数字が増えていくのが見えた。誰かが見てくれている、ということだけは分かったが、「いいね」もつかないし、もちろん購入もされない。

その日の夜、友人に「メルカリ初めて出品してみたんだけど、全然反応ない」とメッセージを送った。すると彼女から「写真見せて」と返信が来た。出品ページのスクリーンショットを送ると、「写真暗くない?あと説明文が堅苦しいかも」というアドバイスをもらった。

言われてみれば、確かに写真は全体的に暗めだった。それに説明文も、必要な情報を詰め込もうとしすぎて、事務的な印象になっていた。友人曰く、「もっと普通に、使ってみた感想とか、どういうシーンで使ってたかとか書いた方がイメージしやすいよ」とのこと。

翌日、思い切って写真を撮り直した。今度は午前中の明るい時間に、ベランダに出て撮影した。自然光の下で撮ると、色もハッキリ見えるし、全体的に明るい印象になった。バッグの中も撮影して、収納力が分かるようにした。

説明文も書き直した。「通勤用に購入しましたが、私には少し大きすぎて使いこなせませんでした。A4サイズの書類が余裕で入るので、お仕事用や学校用に便利だと思います」というように、実際の使用経験を交えた文章にした。堅苦しさは減ったけど、必要な情報はちゃんと入っているはず。

値段も少し下げて、6,500円にしてみた。きりが悪い数字だけど、7,000円よりは買いやすい印象になるかなと思った。

編集して再出品した後、明らかに反応が変わった。数時間後には「いいね」が3つついた。閲覧数も前より増えるペースが速くなった気がする。でもまだ購入はされない。

そんな状態が2日ほど続いた頃、初めてコメントが来た。「購入を検討しているのですが、お値下げは可能でしょうか?」という内容だった。

正直、どう返信すればいいのか分からなかった。値下げに応じるべきなのか、断っても大丈夫なのか。友人に相談すると、「いくらなら売ってもいいか考えて、それを伝えればいい。無理に応じる必要はないよ」と言われた。

送料や手数料を考えると、あまり下げすぎても手元に残る金額が少なくなってしまう。計算してみて、6,000円なら許容範囲だと思った。「6,000円でしたらお値下げ可能です。ご検討ください」と返信した。

自分なりに工夫したポイント

値下げ交渉をしてきた人からは結局返信がなく、購入されなかった。少しがっかりしたけれど、これも勉強だと思うことにした。そこからまた数日が経ち、閲覧数は増えるものの売れる気配はなかった。

ある晩、何気なく他の人の出品を見ていて、ハッシュタグを使っている人が多いことに気づいた。商品説明の最後に「#トートバッグ #通勤バッグ #A4サイズ」みたいな感じで書いている。これって検索されやすくなるのかな、と思って自分の出品にも追加してみた。

それから、出品時間も意識するようになった。夜の時間帯に出品したり更新したりすると、比較的見てもらえることが分かった。みんなが家でスマホを見ている時間なんだろう。

写真も、何度か差し替えた。最初に載せていた写真よりも、バッグの使用イメージが湧きやすい角度のものに変えたり、中身の収納部分が見える写真を1枚目に持ってきたり。小さな変更だけど、こういう細かい工夫が大事なのかもしれないと思うようになった。

説明文にも少しずつ手を加えた。「雨の日も気にせず使える素材です」という情報を追加したり、「ポケットが3つあって、スマホや定期入れを分けて入れられます」という具体的な使い勝手を書いたり。自分が買う立場だったら知りたいことを想像しながら書いた。

それでも1週間が過ぎても売れなかった。「いいね」は10個以上ついているのに、購入には至らない。もしかして値段がやっぱり高いのかな、と迷った。でも、これ以上下げると手数料と送料を引いたら、ほとんど手元に残らなくなってしまう。

悩んだ末に、期間限定で値下げしてみることにした。「週末限定5,500円」というように、説明文の最初に大きく書いた。期間を区切ることで、「今買わないと」という気持ちになってもらえるかもしれないと思った。

金曜日の夜に値段を変更した。土曜日の朝、スマホを見ると通知が来ていた。「購入されました」という表示を見た時は、思わず「えっ!」と声が出た。本当に売れた。誰かが買ってくれた。

嬉しい気持ちと同時に、次は発送しなければならないという緊張が襲ってきた。梱包ってどうすればいいんだろう。コンビニから送れるって聞いたけど、具体的にどうするのか分からない。

実際の場面でどう役立ったか

購入された喜びもつかの間、今度は梱包という新たな課題に直面した。説明には「らくらくメルカリ便」を使うことにしていたが、正直どんな梱包をすればいいのか全く分かっていなかった。

家にあった紙袋に入れて送ればいいかな、と最初は考えた。でもネットで調べてみると、雨に濡れたら大変なことになると書いてあった。ビニール袋に入れてから紙袋に入れるべきらしい。それに、バッグが潰れないように何か詰め物をした方がいいという情報も見つけた。

急いで100円ショップに行って、大きめのビニール袋と緩衝材(プチプチ)を買ってきた。家に帰って、まずバッグをビニール袋に入れた。その後、バッグの形が崩れないように、中に新聞紙を丸めて詰めた。緩衝材で全体を包んで、さらに紙袋に入れた。

でも紙袋だけだとやっぱり不安だったので、透明なビニール袋でもう一度全体を覆った。二重三重の梱包になってしまったけれど、初めての発送だし、慎重すぎるくらいでちょうどいいだろうと自分に言い聞かせた。

梱包が終わったのが夜の9時過ぎ。でもその日のうちに発送したかったので、近くのコンビニに持っていった。レジで「メルカリの発送をお願いします」と言うと、店員さんが慣れた様子で対応してくれた。二次元コードを見せて、機械から出てきた伝票を貼り付けて、荷物を預ける。思っていたより簡単だった。

家に帰ってから、購入者にメッセージを送った。「本日発送いたしました。お手元に届くまで今しばらくお待ちください」という定型的な内容だったけれど、自分なりに丁寧な言葉を選んだつもりだった。

翌日、配送状況を確認すると、もう配達中になっていた。早い。翌々日には「配達完了」の表示が出た。あとは購入者が受け取って、評価をしてくれるのを待つだけだ。

でも、評価がなかなか来なかった。1日経っても、2日経っても、何も連絡がない。もしかして何か問題があったのかな、商品に満足してもらえなかったのかな、と不安になった。説明文に書き漏らしていたことがあったのだろうか。梱包が雑だったのだろうか。

3日目の夜、ようやく通知が来た。「評価されました」という表示。恐る恐る開いてみると、「良い」評価で、コメントには「丁寧に梱包していただき、ありがとうございました。大切に使わせていただきます」と書かれていた。

ホッとした。本当に良かった。思わず画面を見ながらニヤニヤしてしまった。自分が出品したものが、誰かの手に渡って、これから使ってもらえる。そう思うと、ただ捨てたりリサイクルショップに持っていったりするより、ずっと良かったと感じた。

こちらも評価をしなければならない。「スムーズなお取引をありがとうございました」と書いて、「良い」評価を送った。これで初めての出品から発送、取引完了までの一連の流れが終わった。

売上金を見ると、手数料と送料を引いて、約4,000円が手元に残った。定価の15,000円から考えると少なく感じるかもしれないけれど、使わずにずっと置いておくだけだったものが、誰かに使ってもらえて、しかもお金にもなった。この経験は、金額以上の価値があったと思う。

続けてみて変化したこと

最初の出品が無事に終わってから、不思議と気持ちが軽くなった。「自分にもできた」という小さな成功体験が、自信につながったのかもしれない。それからクローゼットを見る目が変わった。

引っ越しの準備を進めながら、「これも誰か使ってくれる人がいるかもしれない」と思うようになった。着なくなった服、読まなくなった本、使っていない食器。今まで「いつか使うかも」と思って取っておいたものたちが、実は誰かにとっては必要なものかもしれない。

2回目の出品は、最初よりもスムーズだった。写真の撮り方も分かってきたし、説明文も何を書けばいいか理解できた。値段設定も、前回の経験から相場感が少し掴めていた。

ただ、2回目だからといって全てが順調だったわけではない。今度は購入者とのやり取りで少し戸惑うことがあった。商品について細かく質問をしてくる人がいて、どこまで答えればいいのか迷った。サイズについて聞かれたので測り直したり、色味について聞かれたので写真を追加で撮って送ったり。

でも、そういうやり取りも悪くないと思えた。真剣に購入を検討してくれているということだし、質問に丁寧に答えることで、お互いに納得した取引ができる。前回の経験があったから、焦らず対応できた。

3回目、4回目と出品を重ねるうちに、コツのようなものが分かってきた。どんな時間帯に出品すると見てもらいやすいか、どんな言葉を使うと反応が良いか、どのくらいの値段設定が適切か。小さな気づきの積み重ねだった。

引っ越し前に、結局10点ほどの物を出品した。全部が売れたわけではなかったけれど、7割くらいは買い手が見つかった。売上金の合計は3万円を超えた。この金額で引っ越しの費用の一部を賄えたし、何より荷物が大幅に減ったことが嬉しかった。

出品作業をしていて気づいたのは、物を手放す時の気持ちが変わったことだった。以前は「捨てる」という行為に罪悪感があった。まだ使えるものを捨てるのは勿体ない、でも自分は使わない。そのジレンマがあって、結局ずっと持ち続けてしまっていた。

でも、出品するという選択肢を知ってから、「手放す=捨てる」ではなくなった。次に使ってくれる人に譲る、という感覚になった。購入者からのメッセージで「探していたものでした」「大切に使います」という言葉をもらうと、手放して良かったと心から思えた。

引っ越しが終わって新しい部屋で暮らし始めてからも、時々出品を続けている。以前ほど頻繁ではないけれど、「もう使わないな」と思ったものがあれば、捨てる前に出品を検討するようになった。

最近では、買い物をする時の意識も変わってきた。「これ、もし使わなくなったら売れるかな」と考えるようになった。すぐに流行が変わるようなものより、長く使える定番のものを選ぶようになったし、状態を綺麗に保とうという意識も生まれた。いつか手放す時のことまで考えて物を買うというのは、最初は予想もしていなかった変化だった。

友人には「メルカリ沼にハマったね」と笑われたけれど、確かにそうかもしれない。でもこれは悪い意味での沼ではなく、むしろ自分の生活が整理されて、物との付き合い方が健全になった感じがする。

まとめ

クローゼットの奥で眠っていたバッグを出品しようと思ったあの日から、数ヶ月が経った。最初は写真の撮り方も分からず、説明文に何を書けばいいか迷い、値段設定に悩み、梱包の仕方に戸惑った。一つ一つが初めてのことで、不安だらけだった。

でも、試行錯誤しながら経験を重ねていくうちに、少しずつコツが分かってきた。完璧にできるようになったわけではないし、今でも迷うことはある。それでも、最初に感じていた「面倒くさそう」「難しそう」という印象は、実際にやってみることで随分と変わった。

一番大きな変化は、物との向き合い方が変わったことだと思う。使わないものを「いつか使うかも」と溜め込むのではなく、必要としている誰かに譲るという選択肢を持てるようになった。手放すことへの罪悪感が減り、部屋も心も軽くなった。

購入者とのやり取りも、最初は緊張したけれど、今では楽しみの一つになっている。「探していました」「ありがとうございます」というメッセージをもらうと、単なる売買以上の温かさを感じる。画面の向こうに、物を大切に使ってくれる人がいると思うと、丁寧に梱包しようという気持ちにもなる。

金銭的なメリットも確かにある。使わない物が現金に変わるのは嬉しいし、そのお金で新しく必要な物を買ったり、貯金に回したりできる。でも、それ以上に「自分にもできた」という小さな達成感や、物を循環させている実感の方が、私にとっては価値があった。

初出品のあのドタバタは、今思い返すと笑える思い出になっている。30枚以上撮った写真、何度も書き直した説明文、深夜のコンビニで慌てて発送した日。全てが新鮮で、全てが学びだった。

これからも、自分のペースで続けていこうと思う。無理に出品数を増やす必要はないし、売れなかったら売れないでいい。ただ、使わなくなったものがあった時に、「誰かに使ってもらえるかもしれない」という選択肢を持っている。それだけで、暮らしが少し豊かになった気がする。

あのバッグは今、どこかで誰かに使われているのだろうか。通勤カバンとして毎日活躍しているのか、それとも週末のお出かけに使われているのか。私の手を離れて、新しい持ち主のもとで第二の人生を歩んでいる。そう思うと、手放して本当に良かったと思える。

物との付き合い方、買い方、手放し方。この一連の経験を通して、私の生活は確実に変わった。それは、クローゼットの奥のバッグから始まった、小さくて大きな変化だった。