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レシートを撮り続けて見えてきた“本当の節約ポイント”の話

レシートを撮り続けて見えてきた"本当の節約ポイント"の話

触れたきっかけと思ったこと

去年の春先、引っ越しで新しいアパートに移ったばかりの頃だった。家賃が前の部屋より2万円も上がってしまって、これはちょっと生活費を見直さないとヤバいなと思っていた時期のことだ。それまで「節約しなきゃ」と思いつつ、家計簿なんて三日坊主で終わっていたし、そもそも何にいくら使っているのか把握できていなかった。

ある晩、帰宅途中のコンビニで何気なくカゴに入れた商品を見て、ふと「今日これで何円使ったっけ」と思い返してみた。朝のコーヒー、昼のコンビニ弁当、仕事帰りのドラッグストア。全然思い出せない。財布の中のレシートをぐちゃぐちゃに突っ込んで、気づいたら捨てている。そんな生活を何年も続けていた。

友人とランチをした時、偶然その話になった。「最近レシート撮るだけでいいやつあるじゃん、あれ便利だよ」と軽く教えてもらったのがきっかけだった。スマホでパシャっと撮るだけで記録できるなら、ズボラな自分でも続けられるかもしれない。そう思って、その日のうちにいくつかアプリをダウンロードしてみた。

正直、最初は半信半疑だった。レシート撮るだけで何が変わるんだろう、という気持ちが強かった。でも「無料だし、とりあえず1ヶ月だけやってみるか」という軽い気持ちでスタートした。まさかその後、自分の買い物の癖や無駄遣いのパターンがこんなにはっきり見えてくるとは、この時は全く想像していなかった。

最初に戸惑った体験

撮影を始めた最初の1週間は、思った以上に大変だった。というより、自分がいかにレシートを適当に扱っていたかを思い知らされた。

まず、コンビニで買い物をした直後、レジを離れた瞬間にレシートをぐしゃっと財布に突っ込む癖がついていた。急いでいる時なんて、そのまま店を出てしまう。帰宅してから「あ、あのレシート撮ってない」と気づいて、財布の中を探すんだけど、他のレシートとぐちゃぐちゃに混ざって、どれがどれだか分からなくなっている。しかも、財布の奥で折れ曲がって、文字がかすれてしまっているものもあった。

スーパーのレシートなんて特に長くて、折り畳まれた状態で渡されるから、まっすぐ伸ばして撮影するのが意外と面倒だった。テーブルの上に広げて、四隅を押さえながら撮影する。照明の角度が悪いと文字が光で飛んでしまって、何度も撮り直し。あるいは影が映り込んで真っ暗になってしまったり。「こんなに手間かかるなら、手入力した方が早いんじゃないか」と思ったこともあった。

それから、飲食店でもらう手書きの領収書。これが本当に厄介だった。手書きの文字が読み取れなかったり、感熱紙が時間経過で薄くなっていたり。あるカフェでもらったレシートは、バッグの中で水筒の水滴がついてしまって、金額のところだけ滲んでしまった。撮影しようとしたときには、もう何が書いてあるのか判別不能だった。

一番困ったのは、ドラッグストアで買い物をした時だ。ポイントカードのキャンペーン情報やらクーポン券やらで、レシートがとにかく長い。70センチくらいあったんじゃないだろうか。床に広げて撮影したら、愛猫がレシートの上に乗ってきて、シャッターチャンスを逃した。笑えない状況だった。

最初の2週間くらいは、撮影し忘れることも多かった。夜寝る前に「あ、今日の昼に買ったパン屋のレシート撮ってない」と思い出して、慌てて財布をひっくり返す。でも、もう捨ててしまっていたり、どこかに紛れ込んでいたり。そうなると、もう記録できない。記録が途切れ途切れになって、「これじゃ意味ないよな」と思って、何度も挫折しかけた。

試行錯誤しながら気づいたこと

それでも、なんとか1ヶ月続けてみた。途中で何度も「もういいかな」と思ったけれど、ここでやめたらまた今までと同じだ、という妙な意地があった。

そして1ヶ月が経った頃、アプリに蓄積されたデータを眺めていて、ある驚きの発見があった。コンビニでの支出が圧倒的に多かったのだ。金額で見ると、月に3万円近くコンビニで使っていた。1日平均1000円。朝のコーヒーとパン、昼の弁当、仕事帰りのお菓子や飲み物。一回一回は数百円なのに、積み重なるとこんな金額になっていたのか、と愕然とした。

もっと驚いたのは、買っている曜日に偏りがあったことだ。月曜日と金曜日にコンビニでの買い物が集中していた。よく考えてみると、月曜日は週初めで疲れていて、お弁当を作る気力がない。金曜日は週末前でテンションが上がって、ついついデザートやお酒のおつまみを買ってしまう。自分でも気づいていなかった行動パターンが、データではっきり見えてきた。

さらに、レシートを細かく見ていくと、同じ商品を何度も買っていることにも気づいた。特定のカップ麺、特定のチョコレート菓子。家に帰って棚を見ると、案の定、同じカップ麺が4個もストックされていた。買ったことを忘れて、また買ってしまっていたのだ。これも無駄遣いの一つだった。

また、ドラッグストアでの買い物も意外な発見があった。本当に必要なものだけを買っているつもりだったのに、レシートを見返すと、セール品につられて買っている商品が結構あった。「30%オフ」に惹かれて買ったシャンプーの詰め替えが、実は普段使っている銘柄より割高だったことも判明した。セールだからお得、という思い込みが、実は損をしていることもある。

スーパーでの買い物では、夕方6時以降に行くことが多かった。仕事帰りの時間帯だ。でも、その時間帯は空腹で判断力が鈍っていて、余計なものをカゴに入れてしまっていた。レシートを見ると、お菓子やお惣菜の購入頻度が高い。お腹が空いている状態で買い物に行くのは、節約の大敵だと実感した。

こうやって2ヶ月、3ヶ月とレシートを撮り続けていくうちに、自分の消費行動の「癖」みたいなものが浮き彫りになってきた。それは、単なる家計簿では絶対に見えてこなかったものだった。金額の合計だけじゃなくて、「いつ」「何を」「どんな状況で」買っているのか。その積み重ねが、自分の無駄遣いの正体だった。

自分なりに工夫したポイント

データを眺めているうちに、ただ記録するだけじゃもったいないと思い始めた。せっかく撮影しているんだから、もっと活用できる方法があるんじゃないか。そう考えて、いくつか自分なりのルールを作ってみた。

まず、レシートをもらったら「その場で撮影」を徹底することにした。会計を済ませて店を出る前、レジ前の台やベンチに一度立ち止まって、その場でスマホを取り出して撮影する。これだけで、撮影忘れが激減した。最初は店員さんの目が気になったけれど、慣れてくると気にならなくなった。むしろ、レシートをその場で確認する習慣がついて、会計ミスにも気づけるようになった。

次に、撮影するときに「今日は何のために買ったのか」を一言メモするようにした。アプリにはメモ機能があったので、それを活用した。「月曜日で疲れてた」「セールにつられた」「ストレス買い」など、自分の気持ちを正直に書いた。これが後で見返したときに、かなり役立った。同じような状況で無駄遣いをしていることが、パターンとして見えてきたからだ。

それから、週に1回、日曜日の夜に「振り返りタイム」を設けることにした。その週に撮影したレシートを全部見返して、「これは必要だった」「これは無駄だった」と自分なりに評価する。最初は面倒だったけれど、10分もあれば終わる作業だった。この振り返りをすることで、翌週の買い物がかなり変わった。「今週はコンビニで使いすぎたから、来週はお弁当を作ろう」といった具体的な目標が立てられるようになった。

コンビニ対策としては、「コンビニでは飲み物しか買わない」というマイルールを作った。どうしてもコンビニに寄りたくなったら、飲み物だけにする。お弁当やお菓子はスーパーで買う。これだけで、コンビニでの支出が半分以下になった。

スーパーに行く時間帯も工夫した。空腹時を避けて、休日の昼食後に行くようにした。お腹が満たされている状態だと、不思議と余計なものを買わなくなる。それから、買い物リストを事前に作って、それ以外は買わないと決めた。レシートの記録を見返すと、リストを作った日とそうでない日では、支出額が明らかに違っていた。

ドラッグストアでは、セールの誘惑に負けないように、「今使っているものがなくなってから買う」を徹底した。ストック癖があったので、これが一番難しかった。でも、レシートを見返して「また同じものを買ってる」と自覚することで、少しずつ改善できた。

実際の場面でどう役立ったか(旅行・日常など)

この習慣が特に役立ったのは、夏に行った3泊4日の北海道旅行だった。旅行中もレシートを撮り続けたのだ。

旅行って、どうしても財布の紐が緩みがちになる。「旅行だから」という言い訳で、普段なら買わないようなものをつい買ってしまう。お土産屋さんで見かけた可愛い雑貨、観光地の高めのカフェ、空港の免税店。気づいたら予算オーバーしていた、なんて経験が今までに何度もあった。

でも、旅行中もレシートを撮影することで、リアルタイムで「今いくら使ったか」が把握できた。1日目の夜、ホテルでその日のレシートを見返したら、すでに予算の半分近くを使っていることに気づいた。観光地の食事代が思ったより高かった。このままでは最終日に資金が足りなくなる。

そこで、2日目からは少し工夫をした。朝食はホテルのビュッフェでしっかり食べて、昼食は地元のスーパーで買ったお弁当にする。浮いた分を、本当に行きたかったお寿司屋さんのディナーに回す。お土産も、空港の免税店ではなく、地元のスーパーで北海道限定のお菓子を買う。こうすることで、満足度を下げずに、予算内に収めることができた。

帰宅後、旅行中のレシートを全部並べて眺めてみた。4日間で使った金額の内訳が一目瞭然だった。食費、交通費、お土産代、雑費。それぞれの比率を見て、「次の旅行では交通費をもう少し抑えて、食費にお金をかけよう」といった反省点が明確になった。これは、次の旅行計画を立てるときに、すごく参考になった。

日常生活でも、色々な場面で役立った。ある月、光熱費の請求が予想より高かった。同時期のレシートを見返してみると、コンビニでの買い物が増えていた。実は、その月は残業続きで疲れていて、自炊をサボってコンビニに頼りっぱなしだったのだ。光熱費だけ見ていたら気づかなかったけれど、レシートと照らし合わせることで、生活リズムの乱れと支出の関係が見えてきた。

また、友人との飲み会が続いた月があった。財布からどんどんお金が消えていく感覚があったけれど、具体的にいくら使ったかは分からなかった。でも、レシートを撮っていたおかげで、その月の交際費が普段の3倍になっていることが判明した。翌月は飲み会を控えめにして、家で友人を招いてホームパーティーにした。支出は半分以下で、むしろ楽しい時間を過ごせた。

季節の変わり目、衣替えの時期にも役立った。去年の秋に何を買ったか、レシートの記録を遡って確認できた。そうすると、「去年もこんな感じのニットを買ってたな」と気づいて、似たようなものを買わずに済んだ。クローゼットを開けて確認したら、確かに似たような色のニットがあった。レシートが、ある種の購買履歴データベースになっていた。

続けてみて変化したこと

レシートを撮り続けて、もうすぐ1年になる。この習慣を続けて、自分の中で明らかに変わったことがいくつかある。

まず、買い物をする前に「これ、本当に必要かな」と一瞬立ち止まるようになった。レジに並ぶ前に、カゴの中身をもう一度確認する。「これ、後でレシート撮ったときに後悔しないかな」と自問する。この一瞬の間が、衝動買いを防いでくれる。

実際の節約効果も大きかった。最初の月と比べて、月の支出が平均で2万円ほど減った。特にコンビニとドラッグストアでの無駄遣いが減った。年間で考えると24万円。これは大きい。浮いたお金で、ずっと欲しかったカメラを買うことができた。我慢して節約したというより、無駄を省いたら自然と貯まっていた、という感覚だ。

食生活も変わった。コンビニ弁当を減らして自炊を増やしたことで、栄養バランスが良くなった。体重も2キロほど減った。節約のつもりで始めたことが、健康面でもプラスになった。レシートを見返すと、野菜や果物を買う頻度が増えていることが分かって、ちょっと嬉しくなった。

意外だったのは、買い物そのものが楽しくなったことだ。以前は、何となく店に入って、何となく買い物をしていた。でも、レシートを意識するようになってからは、「この商品を選んだ理由」を自分で説明できるようになった。値段だけじゃなくて、品質や必要性を考えて選ぶ。そうすると、買い物に納得感が生まれる。レシートを撮るときも、「いい買い物だった」と思えることが増えた。

周りの人にも影響があった。同僚にこの習慣の話をしたら、「私もやってみる」と言って始めた人が何人かいた。数ヶ月後、その同僚から「おかげで無駄遣いが減った」と感謝された。自分の体験が誰かの役に立ったことが、純粋に嬉しかった。

それから、お金に対する漠然とした不安が減った。以前は、給料日前になると「今月、残りいくらだっけ」と心配になることが多かった。でも、レシートで支出を把握できるようになってからは、常に残高の目安が分かる。計画的にお金を使えるようになったことで、精神的にも楽になった。

季節ごとの支出パターンも見えてきた。夏はエアコン代と飲み物代が増える。冬は暖房費と鍋の材料費が増える。こういったパターンが分かると、事前に対策が立てられる。「今月は電気代が上がるから、外食を控えよう」といった調整ができる。

面白かったのは、自分の心理状態と支出の関係が見えてきたことだ。仕事でストレスが溜まっている時期は、コンビニスイーツやお酒の購入が増える。逆に、充実している時期は無駄遣いが減る。レシートが、ある意味で自分の心のバロメーターになっていた。「最近レシートが増えてるな」と思ったら、「ああ、ストレス溜まってるのかも」と自覚できる。そうすると、買い物以外のストレス解消法を考えるきっかけにもなった。

まとめ

レシートを撮り続けるという、たったそれだけのことが、こんなにも自分の生活を変えるとは思わなかった。

一番大きな発見は、「節約って我慢することじゃない」ということだった。無駄を知って、本当に必要なものにお金を使う。そのための第一歩が、自分の支出を「見える化」することだった。レシートは、ただの紙切れじゃなくて、自分の行動を映す鏡だった。

最初は面倒だったレシート撮影も、今では完全に習慣になった。歯を磨くのと同じくらい、当たり前の行動になっている。特別なことじゃない、日常の一部だ。

この1年で、貯金も増えたし、無駄遣いも減った。でも、それ以上に価値があったのは、自分の消費行動を客観的に見られるようになったことだ。なぜこれを買ったのか、本当に必要だったのか。そういったことを考える癖がついた。

もし、昔の自分と同じように「節約したいけど、何から始めればいいか分からない」と思っている人がいたら、レシートを撮ることから始めてみることをお勧めしたい。特別なアプリも、難しい知識も要らない。ただ、買い物をしたらレシートを撮る。それを続けるだけで、必ず何か見えてくるものがある。

完璧にやろうとしなくていい。撮り忘れることもあるし、途中で嫌になることもある。私もそうだった。でも、完璧じゃなくても、続けることに意味がある。1ヶ月、2ヶ月と続けていくうちに、少しずつ自分の消費のパターンが見えてくる。

レシートという小さな記録が、生活を大きく変えるきっかけになる。これは間違いない。私自身がそれを体験したから、自信を持って言える。今日買い物をしたら、レシートを捨てずに、一度じっくり眺めてみてほしい。そこには、自分でも気づいていなかった発見が、きっと隠れている。

メルカリ初出品のドタバタ体験談:眠っていたバッグが旅立つまで

メルカリ初出品のドタバタ体験談:眠っていたバッグが旅立つまで

触れたきっかけと思ったこと

クローゼットの奥に眠っていたバッグを引っ張り出したのは、引っ越しの準備をしていた時だった。3年前に買ったけれど、結局2、3回しか使わなかったトートバッグ。当時は一目惚れして購入したものの、自分の生活スタイルに合わなかったのか、いつの間にか使わなくなっていた。

捨てるにはもったいない。でもこのまま持っていても使わない。そんな葛藤を抱えながら、ふと思い出したのが友人の言葉だった。「メルカリで売ればいいじゃん」と、彼女は当たり前のように言っていた。その友人は頻繁に不用品を出品しているらしく、「結構いい値段で売れるよ」なんて話していたのを思い出した。

正直なところ、私はフリマアプリというものに対して少し腰が引けていた。なんとなく面倒くさそうだし、知らない人とやり取りするのも不安だった。写真を撮って、説明文を書いて、値段を決めて...想像するだけで手間がかかりそうだ。それに、もし売れたとしても梱包や発送の手続きが複雑そうで、失敗したらどうしようという不安もあった。

でも、このバッグは定価で15,000円もしたものだ。ほとんど使っていないから状態も良好だし、誰か必要としている人に使ってもらえたら嬉しいという気持ちもあった。それに、引っ越しを機に物を減らしたいという思いも強かった。荷物が少なければ少ないほど、引っ越し費用も安くなるし、新しい部屋もすっきりする。

結局、「ダメ元でやってみるか」という軽い気持ちでアプリをダウンロードした。週末の午後、特に予定もなかったので、挑戦するには良いタイミングだと思った。画面を開いてみると、思った以上にシンプルな作りで、なんとなく「これなら自分にもできるかも」という気持ちになった。とはいえ、実際に出品する段階になると、予想もしていなかった壁がいくつも立ちはだかることになるのだが、その時の私はまだそれを知らなかった。

最初に戸惑った体験

出品ボタンを押したところまでは良かったのだが、最初の関門は写真撮影だった。スマホで適当に撮ればいいだろうと軽く考えていたのが大間違いだった。

まず、どこで撮ればいいのか分からない。床に置いて撮ってみたら、背景に生活感が出すぎてしまった。掃除機のコードが写り込んでいたり、カーペットのシミが目立ったり。これじゃあ売れるものも売れないだろうと思って撮り直し。今度はテーブルの上に置いてみたが、照明の関係で影ができて暗い印象になってしまった。

白い壁を背景にしてみたり、ベッドの上に置いてみたり、何度も場所を変えて撮影した。気づけば30枚以上撮っていた。でも、どの写真を見ても「なんか違う」という感じがする。他の人の出品写真を見てみると、みんな綺麗に撮っているのに、自分の写真は素人感が満載だった。

写真だけで1時間近く悩んだ後、ようやく「まあこれならいいか」という妥協点を見つけた。自然光の入る窓際で、白いシーツを背景にして撮影したものが一番マシに見えた。でも本当にこれで大丈夫なのか、不安は残ったままだった。

次に困ったのが商品説明の文章だった。何を書けばいいのか、どこまで詳しく書けばいいのか、全く分からない。「トートバッグです」だけじゃ素っ気なさすぎるし、かといって長々と書くのも大変だ。

他の人の出品を参考にしようと思って見てみたら、ブランド名、サイズ、色、素材、購入時期、使用頻度、傷や汚れの有無など、かなり細かく書いている人が多かった。「こんなに書かなきゃいけないのか...」と思いながら、バッグを手に取ってメジャーで測り始めた。

ところが、サイズを測るのもまた難しい。縦、横、マチの幅...どこからどこまでを測ればいいのか迷った。持ち手の長さも測った方がいいのかな、と思って測ってみたり。素材については、タグを見てもよく分からないカタカナが並んでいて、それをそのまま書き写した。

説明文を書いていて一番悩んだのが、傷や汚れについてだった。よく見ると、角の部分にほんの少しスレがあった。これって書くべきなのか、それとも気にしなくていいレベルなのか。正直に書いて売れにくくなるのも嫌だし、でも書かないで後からクレームが来るのも怖い。結局、「角に若干のスレがありますが、全体的に良好な状態です」と正直に書くことにした。

最後に悩んだのが値段設定だった。これが一番難しかった。高すぎたら売れないし、安すぎたら損した気分になる。同じようなバッグを検索してみたら、価格帯がバラバラで全く参考にならなかった。3,000円で出している人もいれば、8,000円で出している人もいる。状態や使用年数によって違うんだろうけど、自分のバッグが相場的にどのくらいなのか判断がつかなかった。

試行錯誤しながら気づいたこと

悩んだ末に、7,000円で出品することにした。定価の半額より少し下くらいなら、まあ妥当かなという感覚だった。でも、出品ボタンを押した瞬間から、不安で仕方なかった。本当にこれで合っているのか、誰か見てくれるのか、そもそも売れるのか。

出品してから数時間、スマホを何度も確認した。閲覧数というのが表示されていて、少しずつ数字が増えていくのが見えた。誰かが見てくれている、ということだけは分かったが、「いいね」もつかないし、もちろん購入もされない。

その日の夜、友人に「メルカリ初めて出品してみたんだけど、全然反応ない」とメッセージを送った。すると彼女から「写真見せて」と返信が来た。出品ページのスクリーンショットを送ると、「写真暗くない?あと説明文が堅苦しいかも」というアドバイスをもらった。

言われてみれば、確かに写真は全体的に暗めだった。それに説明文も、必要な情報を詰め込もうとしすぎて、事務的な印象になっていた。友人曰く、「もっと普通に、使ってみた感想とか、どういうシーンで使ってたかとか書いた方がイメージしやすいよ」とのこと。

翌日、思い切って写真を撮り直した。今度は午前中の明るい時間に、ベランダに出て撮影した。自然光の下で撮ると、色もハッキリ見えるし、全体的に明るい印象になった。バッグの中も撮影して、収納力が分かるようにした。

説明文も書き直した。「通勤用に購入しましたが、私には少し大きすぎて使いこなせませんでした。A4サイズの書類が余裕で入るので、お仕事用や学校用に便利だと思います」というように、実際の使用経験を交えた文章にした。堅苦しさは減ったけど、必要な情報はちゃんと入っているはず。

値段も少し下げて、6,500円にしてみた。きりが悪い数字だけど、7,000円よりは買いやすい印象になるかなと思った。

編集して再出品した後、明らかに反応が変わった。数時間後には「いいね」が3つついた。閲覧数も前より増えるペースが速くなった気がする。でもまだ購入はされない。

そんな状態が2日ほど続いた頃、初めてコメントが来た。「購入を検討しているのですが、お値下げは可能でしょうか?」という内容だった。

正直、どう返信すればいいのか分からなかった。値下げに応じるべきなのか、断っても大丈夫なのか。友人に相談すると、「いくらなら売ってもいいか考えて、それを伝えればいい。無理に応じる必要はないよ」と言われた。

送料や手数料を考えると、あまり下げすぎても手元に残る金額が少なくなってしまう。計算してみて、6,000円なら許容範囲だと思った。「6,000円でしたらお値下げ可能です。ご検討ください」と返信した。

自分なりに工夫したポイント

値下げ交渉をしてきた人からは結局返信がなく、購入されなかった。少しがっかりしたけれど、これも勉強だと思うことにした。そこからまた数日が経ち、閲覧数は増えるものの売れる気配はなかった。

ある晩、何気なく他の人の出品を見ていて、ハッシュタグを使っている人が多いことに気づいた。商品説明の最後に「#トートバッグ #通勤バッグ #A4サイズ」みたいな感じで書いている。これって検索されやすくなるのかな、と思って自分の出品にも追加してみた。

それから、出品時間も意識するようになった。夜の時間帯に出品したり更新したりすると、比較的見てもらえることが分かった。みんなが家でスマホを見ている時間なんだろう。

写真も、何度か差し替えた。最初に載せていた写真よりも、バッグの使用イメージが湧きやすい角度のものに変えたり、中身の収納部分が見える写真を1枚目に持ってきたり。小さな変更だけど、こういう細かい工夫が大事なのかもしれないと思うようになった。

説明文にも少しずつ手を加えた。「雨の日も気にせず使える素材です」という情報を追加したり、「ポケットが3つあって、スマホや定期入れを分けて入れられます」という具体的な使い勝手を書いたり。自分が買う立場だったら知りたいことを想像しながら書いた。

それでも1週間が過ぎても売れなかった。「いいね」は10個以上ついているのに、購入には至らない。もしかして値段がやっぱり高いのかな、と迷った。でも、これ以上下げると手数料と送料を引いたら、ほとんど手元に残らなくなってしまう。

悩んだ末に、期間限定で値下げしてみることにした。「週末限定5,500円」というように、説明文の最初に大きく書いた。期間を区切ることで、「今買わないと」という気持ちになってもらえるかもしれないと思った。

金曜日の夜に値段を変更した。土曜日の朝、スマホを見ると通知が来ていた。「購入されました」という表示を見た時は、思わず「えっ!」と声が出た。本当に売れた。誰かが買ってくれた。

嬉しい気持ちと同時に、次は発送しなければならないという緊張が襲ってきた。梱包ってどうすればいいんだろう。コンビニから送れるって聞いたけど、具体的にどうするのか分からない。

実際の場面でどう役立ったか

購入された喜びもつかの間、今度は梱包という新たな課題に直面した。説明には「らくらくメルカリ便」を使うことにしていたが、正直どんな梱包をすればいいのか全く分かっていなかった。

家にあった紙袋に入れて送ればいいかな、と最初は考えた。でもネットで調べてみると、雨に濡れたら大変なことになると書いてあった。ビニール袋に入れてから紙袋に入れるべきらしい。それに、バッグが潰れないように何か詰め物をした方がいいという情報も見つけた。

急いで100円ショップに行って、大きめのビニール袋と緩衝材(プチプチ)を買ってきた。家に帰って、まずバッグをビニール袋に入れた。その後、バッグの形が崩れないように、中に新聞紙を丸めて詰めた。緩衝材で全体を包んで、さらに紙袋に入れた。

でも紙袋だけだとやっぱり不安だったので、透明なビニール袋でもう一度全体を覆った。二重三重の梱包になってしまったけれど、初めての発送だし、慎重すぎるくらいでちょうどいいだろうと自分に言い聞かせた。

梱包が終わったのが夜の9時過ぎ。でもその日のうちに発送したかったので、近くのコンビニに持っていった。レジで「メルカリの発送をお願いします」と言うと、店員さんが慣れた様子で対応してくれた。二次元コードを見せて、機械から出てきた伝票を貼り付けて、荷物を預ける。思っていたより簡単だった。

家に帰ってから、購入者にメッセージを送った。「本日発送いたしました。お手元に届くまで今しばらくお待ちください」という定型的な内容だったけれど、自分なりに丁寧な言葉を選んだつもりだった。

翌日、配送状況を確認すると、もう配達中になっていた。早い。翌々日には「配達完了」の表示が出た。あとは購入者が受け取って、評価をしてくれるのを待つだけだ。

でも、評価がなかなか来なかった。1日経っても、2日経っても、何も連絡がない。もしかして何か問題があったのかな、商品に満足してもらえなかったのかな、と不安になった。説明文に書き漏らしていたことがあったのだろうか。梱包が雑だったのだろうか。

3日目の夜、ようやく通知が来た。「評価されました」という表示。恐る恐る開いてみると、「良い」評価で、コメントには「丁寧に梱包していただき、ありがとうございました。大切に使わせていただきます」と書かれていた。

ホッとした。本当に良かった。思わず画面を見ながらニヤニヤしてしまった。自分が出品したものが、誰かの手に渡って、これから使ってもらえる。そう思うと、ただ捨てたりリサイクルショップに持っていったりするより、ずっと良かったと感じた。

こちらも評価をしなければならない。「スムーズなお取引をありがとうございました」と書いて、「良い」評価を送った。これで初めての出品から発送、取引完了までの一連の流れが終わった。

売上金を見ると、手数料と送料を引いて、約4,000円が手元に残った。定価の15,000円から考えると少なく感じるかもしれないけれど、使わずにずっと置いておくだけだったものが、誰かに使ってもらえて、しかもお金にもなった。この経験は、金額以上の価値があったと思う。

続けてみて変化したこと

最初の出品が無事に終わってから、不思議と気持ちが軽くなった。「自分にもできた」という小さな成功体験が、自信につながったのかもしれない。それからクローゼットを見る目が変わった。

引っ越しの準備を進めながら、「これも誰か使ってくれる人がいるかもしれない」と思うようになった。着なくなった服、読まなくなった本、使っていない食器。今まで「いつか使うかも」と思って取っておいたものたちが、実は誰かにとっては必要なものかもしれない。

2回目の出品は、最初よりもスムーズだった。写真の撮り方も分かってきたし、説明文も何を書けばいいか理解できた。値段設定も、前回の経験から相場感が少し掴めていた。

ただ、2回目だからといって全てが順調だったわけではない。今度は購入者とのやり取りで少し戸惑うことがあった。商品について細かく質問をしてくる人がいて、どこまで答えればいいのか迷った。サイズについて聞かれたので測り直したり、色味について聞かれたので写真を追加で撮って送ったり。

でも、そういうやり取りも悪くないと思えた。真剣に購入を検討してくれているということだし、質問に丁寧に答えることで、お互いに納得した取引ができる。前回の経験があったから、焦らず対応できた。

3回目、4回目と出品を重ねるうちに、コツのようなものが分かってきた。どんな時間帯に出品すると見てもらいやすいか、どんな言葉を使うと反応が良いか、どのくらいの値段設定が適切か。小さな気づきの積み重ねだった。

引っ越し前に、結局10点ほどの物を出品した。全部が売れたわけではなかったけれど、7割くらいは買い手が見つかった。売上金の合計は3万円を超えた。この金額で引っ越しの費用の一部を賄えたし、何より荷物が大幅に減ったことが嬉しかった。

出品作業をしていて気づいたのは、物を手放す時の気持ちが変わったことだった。以前は「捨てる」という行為に罪悪感があった。まだ使えるものを捨てるのは勿体ない、でも自分は使わない。そのジレンマがあって、結局ずっと持ち続けてしまっていた。

でも、出品するという選択肢を知ってから、「手放す=捨てる」ではなくなった。次に使ってくれる人に譲る、という感覚になった。購入者からのメッセージで「探していたものでした」「大切に使います」という言葉をもらうと、手放して良かったと心から思えた。

引っ越しが終わって新しい部屋で暮らし始めてからも、時々出品を続けている。以前ほど頻繁ではないけれど、「もう使わないな」と思ったものがあれば、捨てる前に出品を検討するようになった。

最近では、買い物をする時の意識も変わってきた。「これ、もし使わなくなったら売れるかな」と考えるようになった。すぐに流行が変わるようなものより、長く使える定番のものを選ぶようになったし、状態を綺麗に保とうという意識も生まれた。いつか手放す時のことまで考えて物を買うというのは、最初は予想もしていなかった変化だった。

友人には「メルカリ沼にハマったね」と笑われたけれど、確かにそうかもしれない。でもこれは悪い意味での沼ではなく、むしろ自分の生活が整理されて、物との付き合い方が健全になった感じがする。

まとめ

クローゼットの奥で眠っていたバッグを出品しようと思ったあの日から、数ヶ月が経った。最初は写真の撮り方も分からず、説明文に何を書けばいいか迷い、値段設定に悩み、梱包の仕方に戸惑った。一つ一つが初めてのことで、不安だらけだった。

でも、試行錯誤しながら経験を重ねていくうちに、少しずつコツが分かってきた。完璧にできるようになったわけではないし、今でも迷うことはある。それでも、最初に感じていた「面倒くさそう」「難しそう」という印象は、実際にやってみることで随分と変わった。

一番大きな変化は、物との向き合い方が変わったことだと思う。使わないものを「いつか使うかも」と溜め込むのではなく、必要としている誰かに譲るという選択肢を持てるようになった。手放すことへの罪悪感が減り、部屋も心も軽くなった。

購入者とのやり取りも、最初は緊張したけれど、今では楽しみの一つになっている。「探していました」「ありがとうございます」というメッセージをもらうと、単なる売買以上の温かさを感じる。画面の向こうに、物を大切に使ってくれる人がいると思うと、丁寧に梱包しようという気持ちにもなる。

金銭的なメリットも確かにある。使わない物が現金に変わるのは嬉しいし、そのお金で新しく必要な物を買ったり、貯金に回したりできる。でも、それ以上に「自分にもできた」という小さな達成感や、物を循環させている実感の方が、私にとっては価値があった。

初出品のあのドタバタは、今思い返すと笑える思い出になっている。30枚以上撮った写真、何度も書き直した説明文、深夜のコンビニで慌てて発送した日。全てが新鮮で、全てが学びだった。

これからも、自分のペースで続けていこうと思う。無理に出品数を増やす必要はないし、売れなかったら売れないでいい。ただ、使わなくなったものがあった時に、「誰かに使ってもらえるかもしれない」という選択肢を持っている。それだけで、暮らしが少し豊かになった気がする。

あのバッグは今、どこかで誰かに使われているのだろうか。通勤カバンとして毎日活躍しているのか、それとも週末のお出かけに使われているのか。私の手を離れて、新しい持ち主のもとで第二の人生を歩んでいる。そう思うと、手放して本当に良かったと思える。

物との付き合い方、買い方、手放し方。この一連の経験を通して、私の生活は確実に変わった。それは、クローゼットの奥のバッグから始まった、小さくて大きな変化だった。

CapCut(キャップカット):無料でプロ級動画編集ができる万能アプリの魅力と使いこなし

動画編集なんてしたことのなかった私が、気づいたら毎週のように映像をつくるようになっていた話

触れたきっかけと思ったこと

友人の結婚式の二次会で流す映像を頼まれたのが始まりだった。「スマホで撮った写真と動画をいい感じにまとめてほしい」と軽く頼まれたものの、私は今まで動画編集なんてしたことがなかった。パソコンにインストールするような本格的なソフトは高額だし、操作も難しそうで敷居が高い。かといって、大切な友人の晴れ舞台で使う映像を適当なもので済ませるわけにもいかない。

スマホで何かいいアプリがないかと探していたとき、妹が「私これ使ってるよ」と教えてくれたのが、無料で使える動画編集のアプリだった。妹は趣味でダンスをしていて、練習動画をよくSNSに投稿している。その動画がいつも見やすくて、テロップやエフェクトもついていて「どうやって作ってるんだろう」と思っていたのだけれど、まさかスマホアプリだけで完結していたとは驚きだった。

最初は「無料だし、たぶん機能も限られているんだろうな」と正直あまり期待していなかった。これまでも無料の写真加工アプリなどを使って、透かしのロゴが入ったり、保存するのに課金が必要だったりという経験を何度もしていたから。でも妹が実際に作った動画を見せてもらうと、本当にクオリティが高くて、これが無料でできるのかと信じられない気持ちになった。BGMもちゃんと入っているし、場面転換もスムーズで、とても素人が作ったとは思えない仕上がりだった。

「まあ、とりあえずダウンロードだけしてみるか」という軽い気持ちでインストールしてみた。結婚式まであと三週間。時間はあまりなかったけれど、何もしないよりはマシだろうと考えていた。このときはまだ、自分がこんなにも動画編集にハマることになるとは思ってもいなかった。

最初に戸惑った体験

アプリを開いて最初に困ったのは、あまりにも機能が多すぎることだった。無料アプリだから機能が少ないだろうと思っていたのに、画面にはたくさんのメニューが並んでいて、何から手をつければいいのか全くわからなかった。「新しいプロジェクト」というボタンを押して、とりあえず友人から預かっていた写真と動画を読み込んでみた。

タイムラインに素材が並んだものの、そこからが問題だった。素材をタップすると編集メニューが出てくるのだけれど、「トランジション」「アニメーション」「エフェクト」「フィルター」など、専門用語のようなものがずらりと並んでいる。動画編集の知識がゼロの私には、それぞれが何を意味するのかさっぱりわからなかった。試しに「エフェクト」を押してみると、さらに何十種類ものエフェクトが表示されて、もう頭が混乱してしまった。

最初の一時間は、ただ適当にいろいろな機能を触っては「あ、これは違う」と戻る作業の繰り返しだった。写真を切り替えるときにふわっとした効果を入れたいのに、どこをどう操作すればいいのかわからない。音楽を入れようとしたら、動画の音声と重なって変な感じになってしまった。テロップを入れたいのに、テキストの大きさや位置を調整する方法がわからず、画面の端っこに小さな文字が表示されるだけで、全然思い通りにならなかった。

妹に「わからないことがあったら聞いて」と言われていたけれど、何がわからないのかすらわからない状態で、どう質問していいかもわからなかった。結局その日は二時間ほど格闘して、たった十秒程度の映像を作っただけで終わってしまった。しかもその十秒も、素材をただ並べただけのもので、とても人に見せられるようなクオリティではなかった。

このとき初めて、「動画編集って簡単そうに見えて、実は奥が深いんだな」と実感した。妹が作っていた動画も、きっと何度も試行錯誤して作り上げたものなんだろう。無料だからといって甘く見ていた自分を少し反省した。でも同時に、これだけ機能があるということは、使いこなせればかなりいいものが作れるはずだという期待も湧いてきた。

試行錯誤しながら気づいたこと

翌日、気持ちを切り替えてもう一度挑戦してみることにした。前日の失敗を踏まえて、今度は一つ一つの機能をじっくり確認しながら進めることにした。まずはシンプルに、写真を順番に並べて、それぞれの表示時間を調整するところから始めた。素材をタップして長押しすると、表示時間を伸ばしたり縮めたりできることに気づいた。これだけでも、写真の切り替わるリズムが全然違って見えることに驚いた。

次に挑戦したのが、写真と写真の間の切り替え効果だった。前日は「トランジション」という言葉の意味がわからなくて避けていたのだけれど、実際に触ってみると、これが場面転換の効果のことだとわかった。何十種類もあるトランジションを一つずつ試してみると、スライドするもの、フェードするもの、回転するものなど、それぞれ全く雰囲気が違った。結婚式の映像には派手すぎるものは合わないだろうと考え、シンプルなフェードやディゾルブといった効果を中心に選んでいった。

音楽を入れる作業も、前日よりはスムーズにできた。アプリ内に用意されている音源がたくさんあって、ジャンル別に分類されていることに気づいた。結婚式向けの優しいピアノ曲やアコースティックギターの曲を試しに当ててみると、それだけで映像の雰囲気がぐっと良くなった。ただ、音楽の長さと映像の長さが合わなくて、音楽が途中で切れてしまう問題が発生した。

ここで悩んだのだけれど、いろいろ調べてみると、音楽の長さに合わせて映像の長さを調整する方法と、音楽自体をカットして映像の長さに合わせる方法の両方があることがわかった。私は後者を選んで、音楽の盛り上がる部分をうまく使えるように、曲の前半と後半を組み合わせてみた。これが意外とうまくいって、自然な流れができた。

テロップについても、少しずつコツがわかってきた。テキストを入れるときは、背景の色によって文字が見えにくくなることがあるので、縁取りや影をつける機能を使うといい。フォントの種類も豊富で、結婚式らしい上品なものから、ポップで楽しいものまで選べた。ただ、あまり凝りすぎると逆に読みにくくなるので、シンプルなデザインを心がけた。

この段階で気づいたのは、動画編集には「引き算」の美学があるということだった。最初はあれもこれもと盛り込みたくなるのだけれど、実際に見てみると、情報が多すぎて逆にわかりにくくなってしまう。本当に必要な要素だけを残して、余計なものは削る。この判断ができるようになってから、作品のクオリティが一気に上がった気がした。

自分なりに工夫したポイント

結婚式の映像づくりで一番悩んだのが、ストーリーの構成だった。ただ写真を時系列に並べるだけでは面白くないし、かといって凝りすぎても見ている人が疲れてしまう。友人カップルの出会いから結婚に至るまでのストーリーを、どう映像で表現するか。何日も考えて、最終的に「章立て」の構成にすることにした。

「出会い編」「交際編」「プロポーズ編」「これから編」という四つの章に分けて、それぞれの章の最初にタイトル画面を入れることにした。タイトル画面には、テキストアニメーションという機能を使って、文字がふわっと現れる演出を加えた。この章立て構成のおかげで、全体の流れがわかりやすくなったし、メリハリもついた。

もう一つ工夫したのが、音楽の使い分けだった。最初は一曲を通して使うつもりだったのだけれど、それだと単調になってしまう。そこで、章ごとに雰囲気の違う曲を使うことにした。出会い編は軽やかなピアノ曲、交際編は明るいアコースティック、プロポーズ編は感動的なストリングス、そして最後のこれから編は希望に満ちたアップテンポな曲。それぞれの曲の切り替わりも、場面転換とうまく合わせることで、自然な流れを作ることができた。

写真の見せ方にもこだわった。ただ静止画を表示するだけではなく、ゆっくりとズームインしたりズームアウトしたりする動きをつけることで、動画らしさが出ることに気づいた。この機能は「アニメーション」のメニューにあって、様々な動きのパターンが用意されていた。写真の中で特に見せたい部分に視線を誘導するような動きをつけると、よりドラマチックな印象になった。

色味の調整も重要だった。友人から預かった写真は、撮影した時期や場所がバラバラで、色合いが統一されていなかった。明るすぎるものもあれば、暗めのものもある。これをそのまま並べると、映像全体のクオリティが下がってしまう。そこで、フィルター機能を使って全体的に統一感のある色味に調整した。結婚式という華やかなシーンに合わせて、少し明るめで温かみのあるトーンに統一することで、プロが作ったような仕上がりになった気がした。

実際の場面でどう役立ったか(旅行・日常など)

結婚式の二次会で映像を流したとき、予想以上の反応があった。会場のみんなが真剣に見てくれて、感動的な場面では拍手も起こった。新郎新婦の二人も涙を流して喜んでくれて、「まるでプロが作ったみたい」と言ってもらえた。このときの達成感は今でも忘れられない。

この経験がきっかけで、自分の日常でも動画を作るようになった。最初は家族旅行の記録から始めた。両親と妹と四人で行った沖縄旅行。今までは写真を撮るだけで満足していたのだけれど、動画でまとめてみたらどうだろうと思った。海の映像、食事の様子、観光地での写真、そういったものを組み合わせて、三分程度の旅行記録映像を作ってみた。

旅の思い出を映像にすることで、その場の空気感まで残せることに気づいた。波の音、街の喧騒、家族の笑い声。静止画では伝わらない臨場感が、動画には確実にある。編集しながら旅を振り返ることで、その時の感情まで鮮明に思い出せた。完成した映像を家族で見たとき、母が「これ、すごくいいね。毎年作ってほしい」と言ってくれた。

その後、友人の誕生日サプライズ用の映像を頼まれることもあった。友人グループのメンバーから、それぞれお祝いメッセージの動画を集めて、一本にまとめる作業だった。人数が多かったので編集は大変だったけれど、メッセージの順番を工夫したり、間に思い出の写真を挟んだりして、ストーリー性のある構成にした。誕生日当日、サプライズで見せたときの友人の驚いた顔と嬉しそうな表情は、何時間もかけて編集した甲斐があったと思えるものだった。

日常的にも使うようになった。ペットの猫の成長記録を月ごとにまとめたり、料理を作る過程を早送り動画にしてみたり。SNSに投稿すると、友達から「いつもの写真投稿より見やすい」「動画のクオリティ高いね」といったコメントがもらえるようになった。特に料理動画は反応がよくて、レシピを聞かれることも増えた。

仕事でも役立つ場面があった。会社の部署で新人歓迎会を企画したとき、チームの紹介動画を作ることになった。メンバー一人一人の写真と簡単なプロフィール、そして歓迎メッセージを組み合わせた短い映像。これを入社初日の新人に見せたところ、「温かい雰囲気が伝わってきて嬉しかった」と言ってもらえた。上司からも「次回のプレゼン資料も、動画を取り入れてみないか」と提案され、新しい仕事のチャンスにもつながった。

続けてみて変化したこと

動画編集を続けていくうちに、自分の中で大きな変化が起きていることに気づいた。まず、日常の風景を見る目が変わった。以前は何気なく通り過ぎていた景色も、「これ、動画にしたら面白いかも」と考えるようになった。夕暮れ時の空、雨上がりの水たまり、カフェの窓から見える街並み。そういった何気ない瞬間に、映像的な美しさを見出せるようになった。

撮影の仕方も意識するようになった。以前は適当にシャッターを切っていたけれど、今は「後で編集することを前提に」撮るようになった。同じ場所を複数のアングルから撮ったり、動画と静止画を組み合わせて撮ったり。少し長めに動画を回しておいて、後から必要な部分だけを切り取る。こういった撮影技術も、編集を通して自然と身についていった。

音楽の聴き方も変わった。映像に合う曲はどういうものか、この曲のどの部分を使えば効果的か、そんなことを考えながら音楽を聴くようになった。カフェで流れているBGMを聞いて、「これ、旅行動画に合いそうだな」と思ったり、ドラマのサウンドトラックを聞いて、「このアレンジを参考にしてみよう」と考えたり。音楽と映像の関係性について、以前よりもずっと深く考えるようになった。

周りの人との関わりも増えた。動画を作っていることを知った友人たちから、いろいろな相談や依頼が来るようになった。「子供の運動会の映像をまとめてほしい」「結婚記念日に夫へのサプライズ動画を作りたい」「ペットの思い出動画を作りたい」。一つ一つの依頼に応えることで、誰かの大切な思い出づくりに関われることが嬉しかった。

自分の中に、新しい表現手段ができたことも大きな変化だった。以前は言葉で伝えることが苦手で、感謝の気持ちや大切に思っている気持ちをうまく表現できないことが多かった。でも、動画という形なら、自分の想いを伝えられる気がした。母の日に感謝の映像を作ったとき、面と向かっては恥ずかしくて言えない言葉も、映像という形なら素直に表現できた。母は何度も繰り返し見てくれて、「こんなに嬉しいプレゼントはない」と言ってくれた。

技術的にも確実に成長していることを実感できた。最初は一本の動画を作るのに何時間もかかっていたけれど、今では効率よく編集できるようになった。どの機能をどう使えば自分のイメージに近づけられるか、経験を重ねることで直感的にわかるようになってきた。新しいテクニックも、オンラインのチュートリアル動画などを見ながら少しずつ習得している。

最近では、単に編集技術だけでなく、ストーリーテリングの重要性も理解できるようになってきた。どんなにきれいな映像でも、どんなに高度な編集技術を使っても、そこに伝えたいメッセージや感情がなければ、見る人の心には響かない。逆に、シンプルな編集でも、ストーリーがしっかりしていれば人を感動させられる。これは動画編集に限らず、人生のいろいろな場面で応用できる考え方だと思った。

まとめ

友人の結婚式映像作りから始まった動画編集の旅は、予想もしなかった方向に私の日常を変えていった。最初は「無料のアプリでどこまでできるんだろう」という半信半疑な気持ちだったけれど、実際に使い込んでみると、その可能性の広さに驚かされ続けた。機能の豊富さに最初は戸惑ったものの、一つ一つ丁寧に向き合うことで、自分なりの使い方が見えてきた。

動画編集を通して気づいたのは、大切なのは高価な機材や難しいソフトではなく、何を伝えたいかという想いと、それを形にしようとする工夫だということ。スマホ一つあれば、誰かを感動させる映像は作れる。技術的な完璧さよりも、そこに込められた気持ちのほうが、見る人の心に届く。

今では、何か特別な出来事があるたびに「これを映像に残したい」と自然に考えるようになった。旅行や誕生日といったイベントだけでなく、何気ない日常の一コマも、後から振り返ったときに大切な思い出になる。そういった瞬間を映像として残せることは、人生を豊かにしてくれる素敵なツールだと思う。

動画編集は、思っていたよりずっと奥が深くて、でも思っていたよりずっと身近なものだった。専門的な知識がなくても、少しずつ学びながら楽しめる。失敗しても何度でもやり直せるし、試行錯誤すること自体が面白い。これからも、日常の中で心に残った瞬間を映像に残していきたいし、大切な人たちの記念日には、想いを込めた映像を贈っていきたい。

気づけば、動画編集は私の生活の一部になっていた。毎週末、何かしら編集作業をしている自分がいる。それは義務ではなく、純粋に楽しいからやっている。新しい表現方法を見つける喜び、誰かに喜んでもらえる嬉しさ、自分の成長を実感できる達成感。動画編集は、そのすべてを与えてくれた。あの日、結婚式の映像制作を引き受けて本当によかったと、心から思っている。